Joseph Schuster

ドレスデンの宮廷楽長
ヨーゼフ・シュースター (Joseph Schuster 1748 - 1812)は、ドレスデンの宮廷音楽家の息子として生まれたドイツ人音楽家です。
ドレスデンには、ザクセン公国の宮廷がありました。シュースターは、若い頃からイタリアを訪れ、ボローニャのマルティーニ神父などに師事しました。そして、1772年からドレスデンの宮廷楽長に就任してからも、たびたびイタリアを訪れてオペラを作曲し、ナポリのサン・カルロ劇場などイタリア各地で上演てし、高い評価を受けました。
シュースターは、このように、モーツァルトなど当時の音楽家によく見られるように、イタリアで学び、イタリアで評価を得ることによって作曲家としての地歩を固めました。
ドイツ語のジングシュピーも作曲しましたが、このほか、室内楽、オーケストラ作品も手がけました。
シュースターは、、1777年、最後のイタリア旅行から帰国の途中、ミュンヘンに立ち寄り、ここで、コンサートを開き、人気を博したと考えられています。


モーツァルトとの関わり
モーツァルトは、シュースターの作品が気に入っていたたようで、21歳の時、旅先のミュンヘンから、ザルツブルクの姉に対して、「姉さんに対して、シュースターの『クラヴィチェンバロとヴァイオリンのための二重奏曲』を同封します。ぼくはこれらの作品をよくここで演奏しました。悪くはありません。当地では、これらは非常に好まれているので、もしここにぼくが留まるなら、この様式でやはり6曲書いてみたいと思います。」(1777年10月6日付)と書き送っています。
モーツァルトは、この手紙に書いているとおり、翌1778年2月に、旅先のマンハイムで、6曲からなるクラヴィーアとヴァイオリンのためのソナタ(KV301-306)を作曲しています。これらのソナタは、マンハイムに宮廷のあったプファルツ選帝侯妃に捧げられており、《選帝侯妃ソナタ》と呼ばれることがあります。
また、以前は、モーツァルトの作品と考えられていた弦楽四重奏曲は、後に、シュースターの作品であったことが明らかにされ、現在、モーツァルトの作品目録では、Anh.C20.01( Anh.210) として整理されています。

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