Carl Stamitz

マンハイム楽派の大物
18世紀半ばのヨーロッパで、優秀なオーケストラを擁し、名声をとどろかせていたのが、マンハイムの宮廷です。カール・シュターミッツ(Carl Stamitz  1745 - 1801)は、父、ヨハン・シュターミッツとともに、マンハイムで活躍していた音楽家群、マンハイム楽派の中心人物です。
カール・シュターミッツ 1745年に、マンハイムで生まれ、父親からの音楽教育を受けました。ヨハン・シュターミッツは、マンハイム楽派の基礎を築いた人物です。マンハイム楽派のシンフォニーなどのオーケストラ作品は、推進力のある上昇音型、ダイナミックなクレッシェンドで知られます。
 カール・シュターミッツは、マンハイムで活動した後、パリに赴き、盛んに作曲活動、演奏活動を行い、その作品は、パリのコンサートの中心でもあったコンセール・スピリチュエルでも演奏されました。
 カール・シュターミッツは、数十曲のシンフォニー、さまざまな楽器のためのコンチェルト、室内楽を残しています。それらの作品のいくつかは、CDでも聴くことができますが、イツァーク・パールマン、ピンカス・ズーカーマンなどが録音したオーボエ四重奏曲を聴きますと、かなりの実力があった作曲家であったことが窺えます。この盤には、シュターミッツのほかに、モーツァルトのヘ長調KV370、ヨハン・クリスティアン・バッハ、ヴァンハルのオーボエ四重奏曲が入れられており、作風が比較できて興味深いです。
モーツァルトとの関わり
モーツァルト父子は、カール・シュターミッツと面識がありました。レオポルト・モーツァルトが、パリに滞在していた息子に書き送った手紙(1778年4月12日付け)によれば、ザルツブルクでカール・あるいは、弟のアントン・シュターミッツのシンフォニーが演奏され、「とても評判だった」が「やかましい」ものだった、と記しています。
 モーツァルトは、この時期、前年からマンハイムに長期間滞在し、さらにパリでの音楽活動に活路を見いだそうとしていましたが、パリには、弟のアントン・シュターミッツがいました。モーツァルトは、ザルツブルクの父親に対し、彼のことを「すばらしいクラリネット奏者だが、飲んだくれで、遊び人で、とてもだらしのない奴です」と書き送っています。
 また、モーツァルトによれば、この時期、兄のカールはロンドンにいたようですが、カールにも好感を抱いていなかったようです。

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