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- クラヴィーア・ソナタの作曲家
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ジャン・フレデリック・エーデルマン (Jean-Frederic Edelmann 1749 - 94)、ストラスブールで生まれた、おそらくはドイツ人の音楽家です。18世紀の終わりに、イギリスの音楽学者チャールズ・バーニー(Charles
Burney 1726 - 1814)(左の肖像画)が著した "A General History of Music"
では、ドイツ人作曲家の中に分類され、ヨハン・ショーベルトの後に出てきます。バーニーは、エーデルマンに対して、ショーベルトよりも低い評価しか与えていません。
エーデルマンは、ブリュッセルなどで活動した後、1775年前後にパリに出てきて、かなりの作品を作曲しています。ショーベルトと同じく、任意のヴァイオリン伴奏付きのクラヴィーア・ソナタを40曲前後残しているほか、コンチェルト、室内楽もつくっています。エーデルマンの作品は、パリ、ロンドン、マンハイムなどでも出版されたようです。
エーデルマンは、1789年から始まったフランス革命に積極的に関わったようで、理由はよくわかりませんが、1794年に、故郷のストラスブールでギロチンにかけられ、処刑されています。
- モーツァルトが賞賛
- エーデルマンとモーツァルトは面識はなかったようで、モーツァルトの手紙の中に、エーデルマンの名前が出てくるのは1回だけです。
モーツァルトは、1777年、父レオポルトの生まれ故郷アウグスブルクに滞在しますが、このとき、アウグスブルクの市長の館を訪ね、そこで、やはりアウグスブルク在住の鍵盤楽器制作者のヨハン・アンドレアス・シュタインが制作したクラヴィコードで、その辺にあった楽譜を初見で片っ端から弾いていますが、その中にエーデルマンの曲もありました。モーツァルトは、「とても綺麗な曲」とほめています。
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