ザルツブルク 7

1773.3.13 - 7.14

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モーツァルトの旅 1
モーツァルトの旅 2
モーツァルトの旅 3
ザルツブルク 5
ヴェロナ 3
ミ ラ ノ 3
ザルツブルク 6
ボルツァーノ 2
ミ ラ ノ 4
ヴェロナ 4
ザルツブルク 7
ウィーン 3
ザルツブルク 8
ミュンヘン 3
ザルツブルク 9
ミュンヘン 4
アウグスブルク 2
マンハイム 1
パ リ 4
サン・ジェルマン
パ リ 5
ナンシー
ストラスブール
マンハイム 2
カイスハイム
ミュンヘン 5
ザルツブルク 10
ミュンヘン 6
モーツァルトの旅 4
交響曲などの作曲
1773年3月13日、モーツァルト父子は、ザルツブルクに帰還しました。
モーツァルトは、ザルツブルクで宮廷作曲家としての地歩を固めていきます。その重要なジャンルがシンフォニーでした。1772年3月にコロレド大司教が就任してから、翌年の7月に父子でウィーンに旅立つまでの間に、わかっているだけで11曲のシンフォニーがつくられています。
これらの多くは、コロレド大司教の就任祝賀のためか、大司教を含む宮廷でのコンサートのために作曲されたのでしょう。
モーツァルトのシンフォニーには第3楽章にメヌエットを含む4楽章形式のものと、メヌエットを含まない3楽章形式のものとの二つのグループがありますが、この時期のシンフォニーにもこの両方が混在しています。シンフォニーはもともとオペラの序曲が独立して演奏されるようになった楽曲で、オペラの序曲から転用された序曲に近いものは後者で、序曲から離れていって独立した楽曲の性格が強いものは前者ということになります。
これらの作品を並べると、やや玉石混淆という感じがしないでもありませんが、第3回イタリア旅行から帰ってすぐにつくられた4曲は、イタリアでの学習の集大成という感じがします。4曲とも3楽章形式で書かれており、いずれも優れた作品ですが、私には3月につくられた変ホ長調 KV184(第26番),4月につくられたト長調 KV199(第27番)が魅力的です。

変ホ長調KV184は、オペラの序曲を想定して作曲されたと考えられており、3つの楽章が切れ目なく演奏されます。曲自体は短いものですが、劇的な力強さと陰翳に富んだニュアンスが対照的です。ハ短調の第2楽章は、管楽器も活躍して実に奥行きの深い気分をつくりだすのに成功していますし、第3楽章は、喜びに溢れ、音楽の流れがとてもしなやかです。

ト長調のKV199は、作品の規模は前の作品よりもかなり大きく、演奏時間も倍ほどかかります。3年前にローマでつくられた同じ調の作品と比べれば見違えるような充実ぶりです。第1楽章のテーマは、生き生きとしたイタリア風の旋律を歌い、第2楽章では、弦が夢見心地にピチカートを奏でます。対位法的な処理も加わり、音楽の奥行きは深くなっています。終楽章はさらに自由自在な動きときりっと引き締まったまとまりを見せます。



これらの交響曲、そしてディヴェルティメントなどは、レジデンツ(上の写真)、ミラベル宮殿などでのコンサートで、モーツァルトやレオポルドの指揮で演奏されたことでしょう。
モーツァルトは若きコンサートマスターとして、颯爽と演奏し、指揮をしたことでしょう。
『聖三位一体の祝日ミサ』


また、6月には、『聖三位一体の祝日ミサ』と呼ばれているハ長調 KV167のミサ曲も作曲されています。この作品は、大聖堂ではなく、聖三位一体教会(トリニティ教会)(上の写真)で演奏されたという説が有力です。
聖三位一体教会は、ザルツァッハ川の対岸、マカルト広場のすぐ近くにあります。17世紀から18世紀にかけて建てられたバロック建築の教会です。
    
モーツァルト父子は、約4ヶ月間ザルツブルクに留まりますが、7月14日、ウィーンに向けて出発しました。このウィーン旅行の目的ははっきりしませんが、ウィーンに着いてすぐにマリア・テレジア女帝に謁見していることから見て、モーツァルトをウィーンの宮廷に就職させようと試みたものと考えられています。出発しますが、この旅行に対するコロレド大司教の反応は知られていません。

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