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- 修道院に滞在
- マンハイムで得るべきものが少なかったモーツァルトは、レオポルトの指示にあったシュトゥットガルトは通らず、カイスハイムを経てミュンヘンに向かうことにしました。マンハイムでカイザースハイムの修道院長と知り合いになり、一緒にこの地に向かうことにしたようです。
カイスハイムの修道院は、12世紀初めに建てられたシトー派の修道院で、レオポルトの手紙によれば、帝国に直属する格式の高い修道院だったといいます。
上の写真は、その城館ですが、説明によれば、17世紀の終わりに修道院長の援助によって建築されたそうです。モーツァルトが知り合ったこの地の修道院は、かなりの地位と財力を誇っていたことが窺えます。
カイスハイムでモーツァルトは、修道院に滞在していますが、修道院には軍隊が駐屯したようで、モーツァルトは、兵隊の行儀の悪さが気に入らなかったようです。
- ベーズレ嬢への手紙
- この城館では、現在、右の写真にありますように、定期的にコンサートも開催されているようです。なかなか良さそうな雰囲気ですね。
一方のモーツァルトは、カイスハイムからアウグスブルクのベーズレ嬢宛てに謎めいた手紙を送っています。
《排泄物嗜好》(スカトロジー)に溢れた、《ベーズレ書簡》の1通なのですが、この手紙でモーツァルトは、アウグスブルクに行けないことを詫び、逆にベーズレ嬢にミュンヘンに来るように頼んでいます。
そして、ひょっとしたら重要な役回りを演じてもらわなければいけないかもしれない、と書いています。
このときモーツァルトはまだミュンヘンのアロイジア・ウェーバー嬢が心変わりしたことを知らず、彼女と婚約するつもりだったので、ベーズレ嬢にどんな役割を期待してミュンヘンに呼び寄せようとしたのかはわかりません。
モーツァルトはウェーバー家に泊まるつもりであることは伏せています。
(このページの写真は、 Schloss Leitheim からお借りしています。)
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