ミ ラ ノ 4

1772.11.4 - 1773.3.4

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モーツァルトの旅 1
モーツァルトの旅 2
モーツァルトの旅 3
ザルツブルク 5
ヴェロナ 3
ミ ラ ノ 3
ザルツブルク 6
ボルツァーノ 2
ミ ラ ノ 4
ヴェロナ 4
ザルツブルク 7
ウィーン 3
ザルツブルク 8
ミュンヘン 3
ザルツブルク 9
ミュンヘン 4
アウグスブルク 2
マンハイム 1
パ リ 4
サン・ジェルマン
パ リ 5
ナンシー
ストラスブール
マンハイム 2
カイスハイム
ミュンヘン 5
ザルツブルク 10
ミュンヘン 6
モーツァルトの旅 4
本格的なオペラ・セリア
11月4日、ミラノに到着したモーツァルトは、さっそくオペラ《ルチオ・シッラ 》の作曲を開始しました。
オペラ・セリア 《ルチオ・シッラ》KV135 (Lucio Silla)は、 序曲と3幕からできています。このオペラは、モーツァルト自身が「セレナータ」と呼んでいた前回の祝典劇《アルバのアスカーニョ》とは異なり、本格的なオペラ・セリアでした。

台本は、ジョヴァンニ・ダ・ガメッラ(Giovanni de Gamerra 1742 ? - 1803)でしたが、レオポルトによれば、ガメッラは、「台詞をヴィーンのメタスタージョ師に送って検閲してもらい、師が多くの部分を直したり、作り変えたり、第2幕では、1場そっくりつけ加えた」と言います。メタスタージョ(Pietro Antonio Domenico Metastasio 1698 - 1782)(右の肖像画)は、ヴェネツィア出身のオペラ台本作家で、当時かなり高齢でしたが、大きな力を持っていたようです。
舞台は、紀元前のローマ帝国。独裁者シッラと彼をめぐる愛憎を描いた物語です。
ローマの独裁官シッラはジューニアとの結婚を望んでいますが、彼女の方は、シッラの政敵で元老院議員チェチーリオを愛していました。彼は追放の身となっていました。まざまな忠告に動かされたシッラは、ジューニアと結婚するために、甘言を弄したり、投獄したりするなど脅しを試みますが、失敗に終わります。最後に、良心を取り戻したシッラは、ジューニアが自らの政敵との結婚を許し、自らも独裁官の地位を退くことにして、ローマの人々の歓呼を浴びるのでした。
12月26日に宮廷劇場で初演され、翌年の1月の終わりまで26回上演されました。レオポルトは、大入り満員だった、と報告していますが、結果的にモーツァルトは二度とミラノからお呼びがかかることはなく、熱狂的な反応でもなかったのかも知れません。

《踊れ、喜べ、幸いなる魂よ》
レオポルトがとった行動は、前回と同じでした。オペラの上演が終わってもミラノに留まり続け、今度はフェルディナント大公の兄であるトスカナのレオポルト大公(上の肖像画。もっとも当時大公は、この肖像画が描かれたときよりもずっと若かったのですが。)に、モーツァルトの登用について交渉を始めたのです。レオポルトは時間を稼ぎながらフェルミアーン伯爵の推薦状を頼りにねばりましたが、やはりうまくいきませんでした。
レオポルトがリューマチに苦しみながらイタリアでの就職を画策し、思い通りにいかなくてイライラしていたのと対照的に、16歳のモーツァルトは陽気にミラノ滞在を楽しんでいたようです。
そして、とても明るい、美しい作品をつくりました。有名なモテット《エクスルターテ・ユビラーテ(踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)》)ヘ長調 KV165 (158a)(Exsultate, Jubilate) です。《ルチオ・シッラ》で主演していた有名なカストラート歌手、ラウッツィーニのために作曲されました。今日では、ソプラノで歌われ、オーケストラで伴奏されるこの曲は、教会音楽と言うよりは、現世の喜びを直截に歌い上げる賛歌と言ってもいいでしょう。

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