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- 天然痘が猛威
- ウィーンで猛威を奮っていた天然痘を避けて、モラヴィアのオルミュッツへと避難したモーツァルト一家でしたが、11歳のモーツァルトは、オルミュッツで発熱し、譫言を言い始めました。
湿疹も出てきて、レオポルトはたいへん心配するのですが、幸い痘瘡もはがれ落ち始めてからは熱も下がり、ことなきを得ました。
この頃、レオポルトは、パリのグリムから、パリのショーベルトが、毒きのこを食べて急死した、という知らせを受け取っています。
モラヴィアでは、天然痘とはまた異なる災難がこの地方を襲っていました。それは、昆虫と鼠の大発生です。畑の作物や穀物が食い荒らされ、家畜も次々に死んでいったようです。人々は、早く冬がやってきて、昆虫や鼠が死に絶えるのを望んでいました。
モーツァルト一家は、オルミュッツを発ち、クリスマス・イブにブルノに到着しました。
- モラヴィアの中心
- ブルノは現在、チェコのモラヴィア地方の中心で、プラハに次ぐチェコ第二の都市です。
ブルノからは、首都のプラハよりもウィーンの方が遙かに近く、僅か100キロほどしか離れていません。
中世以来、ウィーンからボヘミアへの交通の要衝として発展してきました。
左の写真は、ブルノにある聖ペテロ教会を写した写真です。了解を得て掲載させていただきました。1920年代か30年代に発行された古い切手から撮られたそうです。
聖ペテロ教会は、15世紀に建てられたゴシック様式の古い教会です。
プラハの切手屋で購入されたそうです。
ブルノは、チェコを代表する作曲家、ヤナーチェクが活躍した街としても知られ、ヤナーチェク音楽院、ヤナーチェク博物館などがあります。
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