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ジルバーマンの登場
1725年、大バッハにを批判したことでも知られる理論家、ヨハン・マッテゾンの雑誌に、クリストフォーリのピアノフォルテを紹介したマッフェイの論文がドイツ語に翻訳されて掲載されました。
この論文に触発されてピアノフォルテの制作に取り組んだクラヴィーア制作家は何人かいましたが、その代表的な人物が、ドイツのフライブルクやドレスデンで鍵盤楽器の制作をしていた
ゴットフリート・ジルバーマン(Gottfried Silbermann 1683-1753)でした。
ジルバーマンはフリューゲルの形をした大型のピアノフォルテを制作し、プロイセンのフリードリヒ大王に献上しました。
自らフルートを吹き、作曲もした音楽愛好家の大王は、多くのジルバーマン制作のピアノフォルテを購入したと伝えられています。
ジルバーマンの楽器とその継承
ジルバーマンが制作したピアノフォルテは、3台のグランド型の楽器が残されています。そのうちの2台はフリードリヒ大王が注文したと考えられており、ポツダムの宮殿とサンスーシ宮殿に置かれています。
大バッハがフリードリヒ大王の御前で弾いたと考えられる楽器は、ポツダムの宮殿に保存されていましたが、惜しくも第2次世界大戦末期の1945年に戦争で焼失してしまいました。戦争が、貴重な音楽遺産を破壊したひとつの例でもあります。
ジルバーマンの弟子が、クリスティアン・エルンスト・フリーデリーツィ(Chiristian Ernst friederici 1709 - 80)でした。彼は、ザクセンのゲーラに工房を開き、弟のクリスティアン・ゴットフリートと共同で、ピラミッド・ピアノと呼ばれる新しいアップライト型のピアノを制作しました。
ピアノフォルテの普及へ
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