|
|
Daniel Gottlob Turk
18世紀後半から19世紀の初めにかけて活躍したドイツの音楽家、理論家。大バッハの亡くなった年に生まれた。ライプツィヒに学ぶが、1774年からヘンデルの生地でもあるハレを本拠に写し、ハレ大学音楽監督、マルクト教会オルガニスト、音楽監督として活躍した。テュルクの名は、『クラヴィーア教本』の著者として知られている。テュルクは、モーツァルトの作品を頻繁に演奏したことが知られており、『クラヴィーア教本』は、モーツァルトを演奏する上でも参考になる点が多い。 |
トリラーは、すでに最初のレッスンの頃から熱心に練習しなければならない。
しかし最初は、まったくゆっくりと練習し、それから少しずつ速くしてゆく。その際学習者は、指をあまり高く上げすぎないで、二つの鍵を、同じ強さと同じ速さで打鍵するようにしなければならない。
ダニエル・ゴットローブ・テュルク
|
テュルクの「クラヴィーア教本」は、1789年に出版された教本で、長い間邦訳が待たれていましたが、ようやく2000年になって春秋社から出版されました。
この本は、モーツァルトを弾くときにとりわけ参考になりますが、もっと後の時代の作品を含め、広くピアノの演奏に当たって役に立つことがたくさん書かれています。上の引用もその一例でしょう。
モーツァルトの作品には、トリルがたくさん出てきますが、トリルをはっきりと聴かせようとして、指を高く上げすぎるのは避けなければならないと思います。指を高く上げすぎると、手首が硬直しやすくなり、音は硬くなって、滑らかな音楽の流れを損うことにつながりがちだからです。
品のない顔つき、恍惚状態、しかめっつらといった類に属すること、さらには足で床を踏みならしたり、身体全体で拍子をとったり、頭を振ったりうなずいたり、トリラーや難しいパッサージュのときに荒々しい鼻息をすることなども、その身分や性にかかわらず、学習者には最初から許してはならない。
この点では、女件だからといって、丁寧あるいは寛大な態度をとるのは、厳しく非難されねばならない。
ダニエル・ゴットローブ・テュルク
|
モーツァルトは、ヨハン・アンドレアス・シュタインの娘、ナネッテの演奏について、同じような観察をしています。
ただ、モーツァルトはそのような奇妙な動作がピアノを弾く上で無駄でしかない、と冷静な目で見ているのに対し、テュルクは、そのような動作が避難されるべきなのは、「音楽は本来聴覚によってしか感じられないものであるにしても、視覚にも不快感を与えるべきではないからである」と言っています。
これは、彼特有の美学なのでしょう。
奇妙な顔つき、身振りから素晴らしい音楽を紡ぎ出す大ピアニストもいますが、私は個人的にはテュルクの意見に賛成です。
教会のためのアレグロ、ないしは教会カンタータ、労作的なトリオ・カルテットなどにおけるアレグロは、劇場のためのアレグロ、あるいはいわゆる室内楽様式たとえばシンフォニー、ディヴェルティメントなどにおけるアレグロより、ずっと控えめな速さで奏されなければならない。
崇高で、祝祭的に気高い楽想に満ちたアレグロは、跳びはねるような歓喜が支配的なアレグロよりは、いっそう遅くて、いっそう力を込めた足取りを要求する。
ダニエル・ゴットローブ・テュルク
|
同じアレグロでも、曲によってテンポが異なることは、当然のことですが、このことを、18世紀後半の碩学がはっきりと明言していることは意味があると思います。
そして、その差は、テュルクが例示しているように、かなり大きかったと言うことが窺えます。
(引用文献)ダニエル・ゴットロープ・テュルク「クラヴィーア教本」東川清一訳
(春秋社)
top
|