クヴァンツ  

Johann Joachim Quantz   (1697 - 1773)

演奏に関する「箴言」

はじめに
クヴァンツ
テュルク
C.バーニー
L・モーツァルト
スタンダール
R.シューマン
C.ドビュッシー
フィッシャー
ゲオン
ランドフスカ 
ザウアー
スコダ
ブレンデル
武満 徹
C.ローゼン
浅田 彰
Johann Joachim Quantz

18世紀プロイセンをを代表する作曲家、フルート奏者。ドレスデン、ウィーンで学び、ドレスデンのザクセン選帝侯に使えた後、イタリアに留学。その経歴を踏まえ、1728年、プロイセン皇太子フリードリヒのフルートの音楽教師師となり、1741年、彼がプロイセン国王として即位して、フリードリヒ2世(フリードリヒ大王)となると、王室音楽家兼作曲家として厚遇され、数多くのフルート協奏曲などを作曲した。『フルート奏法試論』は、単にフルート奏法を超えて、当時の音楽様式や演奏習慣を今日に伝える名著となっている。
すべてのトリルを同じ速度でしてよいという訳ではない。
その速度は、演奏する場所によると同様、演奏する曲によっても調節しなければならない。
反響がよくて広い場所で演奏する場合には、少しゆっくりしたトリルの方が速いトリルよりも効果的である。・・・
反対に、小さい部屋か絨毯のしいてある部屋で聴衆を近くにおいて演奏する場合には、ゆっくりしたトリルより速いトリルの方がよい事になる。

ヨハン・ヨアキム・クヴァンツ

プロイセンのフリードリヒ大王に仕えたフルート奏者、ヨハン・ヨアキム・クヴァンツの《フルート奏法試論》は、1752年に出版されました。
レオポルト・モーツァルトは、この本を知っていたのかもしれません。トリルについて、全く同じことを書いています。引用したのか、偶然なのかはわかりませんが。
いずれにしても、18世紀の演奏家が、演奏会場の音環境に注意を払っていたことは確かだと思います。トリルはその一つの例かも知れませんが、演奏会場によって演奏法を変えるくらいのデリカシーは見習うべきでしょう。
周囲にはまったく関心を払わず、ひたすら自分がどう弾くかにしか関心を示せないようでは、18世紀の演奏家としては失格だったわけです。
良い演奏は、変化がなければならない。
光と影が絶えず含まれていなければならない。
常に同じ強さまたは弱さで音を表現し、いわば、いつも同じ色で演奏する者、正しい時に音を強くしたり弱くしたりすることがきない者は人を感動させることができない。
フォルテとピアノをいつも交替させて演奏するよう注意しなければならない。
これはひじょうに重要なことである。

ヨハン・ヨアキム・クヴァンツ

ここでもレオポルトが使った同じ表現 ― 「光と影」が出てきます。
私がテンポの規準として最も役に立つと思う方法は、いつも持って歩ける程に持ち易く、苦労なしに使えるもの程よい。それは、健康な人間の手の脈拍である。

一般的偶数拍子の場合

アレグロ・アッサイの時は一脈拍の間に半小節
アレグレットの時は一脈拍の間に4分音符1個
アダージョ・カンタービレの時は一脈拍の間に8分音符1個
アダージ・アッサイの時は二脈拍の間に8分音符1個

ヨハン・ヨアキム・クヴァンツ

メトロノームのなかった18世紀後半において、それぞれの速度表示が実際の所どれくらいのテンポを想定していたのかは難しい問題です。
その点、人間の脈拍は、おそらくはこの200年あまりの間にそんなには変化していないと思われますので、このクヴァンツの指摘は、当時の人々のテンポ感を知る上で、とても参考になります。
悪い演奏の主な特徴を短くまとめようと思う。
・・・すべての音をのべつまくなしにスラーをつけたり、また、スタッカートをつけて演奏されたりする場合、速さがでたらめで、音価どおりに演奏されていない場合、アダージョの場合に装飾があまりにメロディーをゆがめていて、和音が一致していない場合、装飾がきちんと終わっていないか、また、早く終わってしまいすぎる場合、・・・冷たい感じで、同じ色彩でピアノとフォルテの交代なしに、そして自ら心を動かされることなしに演奏し、まるで頼まれて他人のために歌ったり演奏したりしなければならないというように見える場合が悪い演奏なのであり、このような悪い演奏によって、聴衆は、快い方法で楽しむよりはむしろ睡魔におそわれ、曲が終わると喜ぶようなことになるのである。

ヨハン・ヨアキム・クヴァンツ

ヨハン・ヨアキム・クヴァンツ著
《フルート奏法試論》ハンス・レツニチェクほか監修
(シンフォニア)

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