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- ラインのほとりの街
- 得るものが少なかったフランクフルトを後にしたモーツァルトは、船でマインツ(Mainz)に着きました。ライン川のほとりにある街で、大聖堂で知られる街です。
モーツァルトは、ウィーンの妻コンステタンツェ宛てに、マインツから次のように書き送っています。
「追伸 この前の頁を書いていたら、涙がぽろぽろと紙の上に落ちてきたのだ。でもいまは、陽気だぞ ― さあ、つかまえろ ― 驚くほどたくさんのキスが飛びまわってる。……こいつめ!………ぼくには見えるぞ、いるいる沢山……はっ! はあ!………3つつかまえたぞ
― こいつは豪華だ! ―
きみはまだこの手紙に返事を書けるんだよ。だけど、宛名はリンツの局留め郵便にしなくてはいけない。 ― それ がいちばん確実だ。 ― というのは、ぼくがレーゲンスブルクヘ行くかどうか、確実には分からないし、まだ何も決められないからだ。
― ただ、手紙を取りに来るまで保管してくれるようにとだけ明記しておいてほしい。 ― ごきげんよう ― 最愛、最上のかわいい奥さん ― 健康に気をつけてね。
― それに、町へ勝手に徒歩で外出してはいけないよ。 ― 新しい住居がどんなに気にいったかも、やはり書いでくれたまえ。 ― さよなら、百万回のキスを送る。(1790年10月17日付けの手紙)
- 選帝侯の前で演奏
- マインツを出発する前日の10月20日、モーツァルトはマインツの選帝侯フリードリッヒ・カール・ヨーゼフ・フライエル・フォン・エーアタール(Friedrich
Carl Joseph von Erthal 1719 - 1802)(左の肖像画)の前で演奏しています。
このコンサートには、ザルツブルクのコロレド大司教の兄、帝国副宰相のコロレド公爵夫妻も同席しています。
この報酬も、モーツァルトにとっては不満な金額で、モーツァルトは、マンハイムから妻コンスタンツェ宛てに出した手紙で、「17日にマインツから出したぼくの手紙、たしかに受け取っただろうね。
― 出発の前日、選帝侯のところで演奏したんだけど。たったの15カローリンもらっただけだ」と書き送っています。
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