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《モーツァルトはどう弾いたか》 丸善出版
<プロローグ>
第1章 ウィーン・デビュー
第2章 クラヴィーア
第3章 トルコ行進曲をめぐって
第4章 サロンの音楽
第5章 ローザのためのピアノ・ソナタ
第6章 即興
第7章 コンサートの再現
<エピローグ> モーツァルトを弾く
(2000年6月刊行)
モーツァルトは、いったいどんな演奏をしていたのだろう?―モーツァルトのピアノ曲を弾くときに浮かんでくるこのいつもの疑問が、本書の執筆の動機でした。
五線紙のむこうにいるモーツァルト。ときにはけたたましく笑いこけながら、いとも軽やかに、鮮やかにピアノを弾く姿。大人たちから万雷の拍手を受け、得意満面の神童の笑顔
― それらが浮かんでは消え、消えてはまた浮かびます。
モーツァルトが生きた時代、職業音楽家は作曲家であると同時に演奏家でもありました。現代の演奏家のように、過去の作品を必死に暗譜してステージで演奏する、純粋な意味での「ピアニスト」は存在しませんでした。「作曲家としてのモーツァルト」は、「演奏家としてのモーツァルト」と一体でした。作曲家としての音楽家像は、作品を通して後世に残ります。しかし、演奏はただ弾かれるままに消えてしまうので、演奏家としての音楽家像は残りません。
私は子供のときからモーツァルトを弾いてきました。リサイタルのプログラムにもモーツァルトの作品を取り上げ、また、モーツァルトと同時代の作曲家たちに焦点を当てたレクチャーリサイタルにも取り組んできました。そのような試みを続けてきた演奏者の立場から、「演奏家としてのモーツァルト像」を再現させてみたいと思います。
そのためには、何といってもモーツァルト自身が残した言葉を読み解くことが求められます。モーツァルトは膨大な数の手紙を残しています。モーツァルトの手紙は細部まで研究され、よく引用されてきました。しかし、これらの手紙が読み物としても興味深い内容を多く含んでいるため、どうしてもそちらの方に関心が向けられがちで、クラヴィーアの演奏について語られている部分についてはあまり紹介されてこなかったように思います。私は改めてモーツァルトの手紙のすべてに目を通し、演奏者の目から見て注目すべき部分について、私なりに考えてました。
また、手紙とともに、当時の楽器、演奏慣行、コンサートの模様などがどのようなものであったかも探る必要があります。これらを手がかりに、できる限り勝手な想像は慎みながら、モーツァルトの演奏を私なりに蘇らせてみることにしたいと思います。
私は、前作「モーツァルトのクラヴィーア音楽探訪 ― 天才と同時代人たち ― 」(音楽之友社)で、モーツァルトのピアノ音楽に焦点を当て、同時代の作曲家たちの作品との比較も交えながら、ピアノ音楽の作曲家としてのモーツァルト像を描いてみました。本書は、その続編ともいうべき試みで、前作をあわせてご参照いただければ幸いです。
音楽は言葉では言い尽くせません。そこで、本書で取り上げた作品や演奏方法を、本書の文脈と章立てに沿って音にして聴いていただけるよう、丸善のホームページの中に、本書関連のページをつくっていただきました。お聴きいただければ幸いです。 「本」を「音」に
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