チューリヒ

1766.9.28 - 10.13

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モーツァルトの旅 1
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モーツァルトの旅 2
モーツァルトの旅 3
モーツァルトの旅 4
チューリヒの遠景


スイスでモーツァルト一家は、次のチューリヒに14日間、滞在しました。
今日では、ベルンからチューリヒまでは、電車で約1時間半の距離です。
チューリッヒの人口は、現在約36万人。周辺を含めると100万人規模にもなります。
イタリアとドイツを結ぶアルプス山脈北側の交通の要所であったことから、神聖ローマ帝国の時代発展しました。中世にはツェーリンゲン家、続いてハプスブルク家の支配下に入りますが、次第に独立志向を強め、14世紀には、スイスの領邦から成る同盟に参加しました。
マルティン・ルターの宗教改革とほぼ同じ時期、ツヴィングリによる宗教改革が行われ、以後、チューリヒは、反カトリックの一大勢力となりました。
大聖堂
チューリヒのシンボルともなっている大聖堂は、11世紀から建設が始まり、ロマネスク様式で建てられましたが、後年にはゴシック様式も加わっています。モーツァルトは、この大聖堂(右の写真)でもオルガンを弾いたと思われますが、コレギウムでのコンサートの記録が残されています。
これは、モーツァルト姉弟のコンサートを知らせるチラシで、その裏にヘ長調のクラヴィーアの小品が書かれています。
こんにち、K(第6版)33Bとして整理されている作品で、僅か26小節の小品です。
チューリヒは、今日、ヨーロッパを代表する音楽都市です。1830年代に歌劇場がつくられ、1840年代には、革命騒ぎに加わってお尋ね者となったワーグナーがフランツ・、リストの助けでチューリヒに逃げ込みます。
ワーグナーを援助したのが、オットー・ヴェーゼンドンクで、ワーグナーは、妻ミンナとともに、チューリヒに滞在し、楽劇『トリスタンとイゾルデ』の作曲を行いました。

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