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久元 祐子ピアノ・リサイタル 東京文化会館小ホール(2004.9.1)
- 音楽の友 2004年11月号
- バッハの《フランス組曲第5番》から始まった。しっかりした構成感に基づく演奏で、陽光が降り注ぐような<アルマンド>、快活な<クーラント>、優美さに溢れた<サラバンド>、自省的で透明感に満ちた<ガヴォット>、華やかな<ブーレ>、清澄で独白的な<ルール>、そして躍動的な<ジグ>と、骨格もどっしりとした雄渾なバッハだ。
典雅な筆致で描いたJ・C・バッハ「ピアノ・ソナタ」に続いては、モーツァルト「ピアノ・ソナタ KV 310」。ここではおそらくフォルテピアノの響きを想定したのであろう。少し浅いタッチは柔らかめでテンポも揺れ気味、またダイナミック・レンジの幅を大き<取らずに音色の変化も抑え、それでいて泰然たる雰囲気を醸し出している。とりわけ第2楽章は甘美で味わい深い。
後半、ショパン「3つのマズルカ」、ドビュッシーの《映像第2集》なども多様な彩りで楽しませたが、憂欝な哀しみや無邪気な子供が遊ぶような風趣を表出したキュイの小曲が優れていた。(真嶋雄大)
- ショパン 2004年11月号
- すてきな才能を持つ
久元祐子は、東京芸大出身。モーツァルトに関する著書もあり、ディスクも多数作っている。今回はバッハ、J・C・バッハ、ショパン、キュイ、ドビュッシーの作品を演奏した。とても細やかな心を持った人である。おだやかでもあり、聴いていて大変心地よい。すてきな才能を持ったピアニストだと思った。しかし、さらに理想を求めるとしたら、表現の幅を広げていってもよいのではないか、とも思えた。そしてスケール的な大きさも得ていく必要はあるだろうとも言えよう。
バッハの『フランス組曲』第5番は、バランスのとれた演奏。知的であり繊細であり、好感が持てたが、さらに「ホール弾き」のようなものを加えていくならば、この人のバッハは一番魅力を増すだろうと思った。ドビュッシーの『映像』第2集は、この人の芸幅の中で入魂の演奏。一層作品の中に入りこんでもよかったとは思えたが、実に楽しく聴けた。(長谷川
武久)
- ムジカノーヴァ 2004年7月号
- 久元 祐子は、東京芸大と同大学院に学び内外で積極的な演奏活動を行っているピアニストであり、演奏以外に論文やエッセイの執筆にも意欲を燃やしている人物である。当夜の彼女のリサイタルでは、バッハの《フランス組曲第5番》、J・C・バッハの《ソナタ イ長調》、モーツァルトの《ソナタ イ短調》、ショパンの《3つのマズルカ》作品59,キュイの《マズルカ》《ワルツ》《スケルツィーノ》、ドビュッシーの《映像第2集》が演奏された。
久元は、よく訓練されたテクニックと美しくムラのないタッチをもち、あたたたくキメ細やかな表現を聴かせるピアニストである。二人のバッハでは、輪郭の整った表現のなかにしめやかな歌が息づいており、モーツァルトでは、独特の端整でバランスの良い表現に好感がもたれた。ショパンとキュイでは、繊細な語り口のなかにふくよかで音楽的な感情の起伏が秘められており、デリケートなタッチと的確な様式感の把握が光彩を放っていたドビュッシーは、筆者個人としては特に注目したい秀逸な演奏であった。かなりの実力の持ち主といってよく、こうした質の高い演奏活動が今後も継続されていくことを期待したい。(柴田龍一)
- ショパン 2003年7月号
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音楽学者そして文筆家でもあるピアニストのコンサート。
台風4号の影響による激しい雨の中、熱心な聴衆が集まってきた。このピアニストの固定的ファンが形成されているらしい。
初めは、再演が熱望されたラトヴィアのヴィートールスの作品『ラトヴィアの主題によるピアノのための変奏曲』。この教会旋法の名残を残す主題を丁寧に提示したあと、9つの変奏とフィナーレが続く。さまざまな変奏技法を使い、緩急自在に組み立てられた音楽。
この曲を除くと、リサイタルのテーマはどうもイタリアにあるらしい。
次はチマローザの変ロ長調のソナタ。ラルゴでの右手のアリアはとても印象的。
そしてほとんど同時代のモーツァルトの『パイジェッロのオペラ<哲学者きどり>から<主よ幸いあれ>による6つの変奏曲』。続いてリストの『巡礼の年』から『ゴンドラを漕ぐ女』『エステ荘の糸杉に寄せて・哀歌』『エステ荘の噴水』『サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ』『ペトラルカのソネット第123番』『ダンテを読んで・ソナタ風幻想曲』が弾かれた。
ベーゼンフドルファーを用い、響きの洪水や<語り>をよくコントロールしながら表現。ホールの外の天候とは異なり、全体に明るく、暖かな雰囲気に満たされたコンサートであった。
<文>栗山 和
<写真>酒寄 克夫
- 音楽の友 2002年7月号
- 放送、CD,著作(「モーツァルトのクラヴィーア音楽探訪」「世紀末の音楽風景」(音楽之友社刊)他)と多岐に活躍する久元祐子を久々に聴いたが、もともと作品へは知的にアプローチするが、いつこれほどドラマチックに彫琢するスケールの大きなピアニストへと変貌したのか、印象深かった。
モーツァルトの「グレトリーのオペラからの8つの変奏曲」では、抑制された品の良さとモーツァルトらしい天衣無縫な躍動感で各変奏を弾き分け、ベートーヴェン<テンペスト>では異質とも言える静止した部分と、それを乗り越える急速な進行との時間感覚と音色の差等、創出されたのは劇的な音空間だった。
ラトヴィアのヤーゼプス・ヴィートールス「ラトヴィアの主題による変奏曲」の日本初演を含め、鋼のような手から輝きのある音質が繰り出されるリストでは特に<二つの伝説>など、ガラスのような美音が降ってくる美しい瞬間に出会った。(5月9日・東京文化会館(小)) (小倉 多美子)
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