クラヴィーア・ソナタ 2 

Sonata
Variation

Mozart

紹 介

ピアノ作品・一覧

作品・一口メモ

演奏に関する箴言

同時代の作曲家たち

モーツァルトと楽器

楽器・探訪

モーツァルトの旅

<マンハイムで作曲されたクラヴィーア・ソナタ>

1777年9月から1779年1月までの約1年4ヶ月に渉るマンハイム、パリへの旅―モーツァルト21歳から23歳までの青春時代に行われた旅は、モーツァルトに大きな試練を与えた。就職のもくろみはことごとくあてがはずれ、手痛い失恋を経験し、最愛のお母さんを亡くした。 
この旅行中、マンハイムでは、2曲のみずみずしいクラヴィーア・ソナタが書かれた。ハ長調 KV 309(284b) と ニ長調 KV 311(284c) である。
この頃モーツァルトは、マンハイム楽壇の大物、クリスティアン・カンナビッヒの家に出入りし、どんちゃん騒ぎを繰り返していた。そしてカンナビッヒの娘、ローザのために1曲のクラヴィーア・ソナタを作曲している。
「カンナビッヒにはひとり娘がいて、クラヴィーアをじつに愛らしく弾きます。そこでぼくは彼と親友になるために、いま娘さんのためにソナタを一曲作っていますが、それはもうロンドーまで出来上がっています。最初のアレグロと、アンダンテを書き終えると、ぼくは自分で持っていって弾きました。このソナタがどんなに受けたのか、パパには想像できないでしょう」(モーツァルト書簡全集(白水社))
この手紙にあるソナタが、どちらのソナタかは確証はないが、多くの研究者は、ハ長調のソナタだと考えてきた。私も、曲の雰囲気、曲想などから見てそうだと思う。

クラヴィーア・ソナタ 第7番 ハ長調  KV 309(284b)

1.Allegro con spirito ハ長調 (ソナタ形式) 2.Andante un poco adagio ヘ長調 (変形されたロンド形式) 3.Rondeau:Allegretto grazioso ハ長調 (ロンド形式) 
【作曲時期】1777年10月22日から11月13日の間。マンハイムで。
【初版(生前)】1778年 パリのエーナ社から
【一口メモ】本当に明るく、翳りのない喜びに溢れている曲である。私にはこの雰囲気は、《ベーズレ書簡》のからかいの気分に通じるものがあるような気がしてならない。第2楽章は、愛らしいテーマに始まる二つのエピソードを挟んだ変奏曲。モーツァルトは、この楽章は、クリスティアン・カンナビッヒ(マンハイムの宮廷楽団コンサート・マスター)の娘、ローザ嬢の性格にそっくりに作曲したい、と書いている。第3楽章は一点の曇りもなく、流れるように音楽は進んで行くが、一種の茶目っ気も感じられる微笑ましい楽章。 KV 310、311とともに、1781年パリのエーナ社から出版された。


 このK309のソナタは、とにかくとても楽しい、明るい雰囲気を持っている。そしてこのソナタを作曲していたとき、作曲者自身も楽しげにはしゃいでいた。 先ほどの11月14日づけの手紙で、モーツァルトはレオポルドに次のように書き送っている。カンナビヒ邸での馬鹿騒ぎの様子が生き生きと伝わってくるようだ。「私こと・・・モーツァルトは、(以前にもたびたび)深夜12時に帰宅いたし、しかも、10時より前記の時刻まで、カンナビヒの家で、カンナビヒ、同夫人と令嬢、財務長官殿、ラム、ラング氏らの面前で、ともどもに、しばしば、しかも ― いやいやでなくて、まったく浮き浮きと、それもただただ落ちる雷、つまり、ウンコとか、クソたれとか、シリナメとかで語呂遊びをいたしましたことの罪状をここに告白いたします」(1777年11月14日)


K309のソナタの第2楽章アンダンテは、このような彼女をイメージして作曲された。モーツァルトは、3つの楽章の中でこのアンダンテの楽章が一番苦労するで しょう、と書き残している。それは「表情に溢れていて、譜面通りのフォルテとピアノで、趣味よく、的確に弾かなくてはなりません」(1777年11月14日)とも付け加えている。

クラヴィーア・ソナタ 第8番 ニ長調  KV 311 (284c)     

1.Allegro con spirito ニ長調 (ソナタ形式) 2.Andante con espressione ト長調 (2部形式の変形されたロンド形式) 3.Rondeau:Allegro ニ長調 (ロンド形式)
【作曲時期】1777年12月中旬。マンハイムで。
【初版(生前)】1778年 パリのエーナ社から
【一口メモ】 モーツァルトは、このソナタについてほとんど何も書き残していないが、《ベーズレ書簡》には、ミュンヘンの二人のフライジンガー嬢に約束したソナタがまだ書けていないことをお詫びして下さい、というくだりがあり、このソナタのことではないかという説もある。底抜けに明るい前の曲に比べ、曲の全体にわたって優雅な気品に溢れる。第1楽章は、随所に協奏曲のスタイル。第2楽章は一種のロンドで出来ており、冒頭のテーマは、現れる度に極めて微妙に、あるいは大胆に変化していく。「移ろっていく」という魅力が最大限に発揮されているが、暗譜で演奏するとき、思わぬ落とし穴にひやりとする。

<パリ・ソナタ>

モーツァルトは、マンハイムを後にし、パリに向かう。パリ滞在は、1778年の3月から9月までの約半年だったが、この間、モーツァルトは、母マリア・アンナを病気で亡くし、かつて面倒を看てくれたグリムからも冷たくされ、就職にもありつけないなど、初めて本格的な試練を味わうことになった。
 そんな中で作曲されたのが、このイ短調 KV 310(300d)のクラヴィーア・ソナタだ。自筆譜が残されていて、「1778年パリ」と記されている。このソナタの悲劇的な雰囲気は、母マリア・アンナの死とよく結びつけられてきたが、モーツァルト自身は手紙の中でこのソナタについては何も触れていない。
 異様な緊張感を持った悲痛な雰囲気があり、モーツァルトの作風がここでまた一段と深まったと言うことは確かだが、シンフォニックな書法で書かれていること、第2楽章「アンダンテ・カンタービレ・コン・エスプレシオーネ」は、マンハイムで書かれたニ長調のソナタとまったく同じ指示であり、構成も似ていることなど、モーツァルトは、マンハイムで作曲したクラヴィーア・ソナタの延長線上に、さらにこのソナタで作風を発展させたということができると思う。
 このソナタは、モーツァルトのすべての作品の中で異彩を放っていることは確かだが、それは決して謎だとかミステリーだとかといった類の話ではないように思う。
 また、このソナタがどのような楽器を想定してつくられたかもわかっていないが、当時ヨーロッパ最大の音楽都市であったパリには最先端のピアノフォルテが持ち込まれていたと考えられ、そのようなピアノフォルテを知り、これを想定して作曲したと想像することがもっとも現実的かと思われる。

クラヴィーア・ソナタ 第9番 イ短調  KV 310 (300d)

1.Allegro maestoso イ短調 (ソナタ形式) 2.Andante cantabile con espressione ヘ長調 (ソナタ形式)
3.Presto イ短調 (ロンド形式) 
【作曲時期】1778年3月23日から6月20日までの間。 パリで。
【初版(生前)】1778年 パリのエーナ社から
【一口メモ】余りにも有名な第1楽章の第1主題は、冒頭からいきなりフォルテで3音または4音からなる和音が1小節に8つずつ叩かれるという分厚い伴奏に支えられ、シンフォニックな書法で書かれている。第2主題は、第2主題とよく似た左手の伴奏の上に、16分音符のパッセージがハ長調で現れ、伴奏の形は次々に変化していく。展開部は、ディナーミクが極めて幅広く、フォルテシモとピアニシモの間の対比の中を揺れ動く。内声部を巧みに使った動き(第58 ― 62小節)もモーツァルトのピアニズムの発展を示しているように思える。現代の楽器でこのソナタを弾くとき、ロマン派を弾くときのような、しかも演奏者自身が興奮してしまってフォルテシモを叩きつけることは、音が混濁し、何がなんだかわけがわからなくなる結果を招来するだけになるように思う。
 第2楽章はかなり規模の大きい楽章で、天国的な美しさを湛える第1主題と、スタッカートで同音反復されるハ長調の第2主題のコントラストが見事である。展開部は、嵐のような激しさを伴い、緊張は極度に高まるが、やがて第1主題の平安が戻ってきて、微妙な曲想の移ろいの中に、嵐が回想されるというイメージだろうか。第3楽章は、符点音符のロンド主題が全体を覆い、中間部のエピソードもこのテーマと類似性がある。意表を突くフォルテとピアノの対比も印象的で、まるで疾走するかのように通り過ぎる音楽。


クラヴィーア・ソナタ 3