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- 当てのない滞在
- 母を亡くし、一人旅を続けるモーツァルトは、だんだん冷静な判断力を失っていたように見えます。
レオポルドは、アウグスブルク、ミュンヘンに向かうように指示しますが、モーツァルトはストラスブールを発ち、当てもないままにマンハイムにたどり着きました。
左は、マンハイムのイエズス会教会です。
マンハイムは、パリに行く前に長期間滞在し、満ち足りたひとときを送った街です。モーツァルトはいまだこの街に幻想を抱き、選帝侯カール・テオドールが自分を雇ってくれるかも知れない、と希望的な見通しも開陳しています。
また、自分がいかにもてはやされているか、いかに稼げる見通しがあるかについても、自信を持って語っています。
レオポルドはほとんど発狂しそうでした。「実際のところ、私は何を書くべきかわからない」と書き送ります。
モーツァルトがマンハイムに向かったのは、アロイジア・ウェーバー嬢のことを思ってのことだったと思われますが、ウェーバー一家は、すでにミュンヘンに移り住んでいたのでした。
モーツァルトも少しずつ自分を取り巻く状況を理解し、レオポルドの説得を受け入れるようになっていったのかもしれません。ザルツブルクの大司教に再会したら、自分が見聞きした話を伝え、新しい提案もしてみたい、とレオポルドに書き送っています。しかし、モーツァルトの頭の大部分を占めていたのは、早くミュンヘンに行って、アロイジア・ウェーバー嬢と再会することでした。
- 川の合流点
- マンハイムは、ライン川とネッカー川が合流する地点に開けた都市です。
水運の要衝でしたが、その栄華は、プファルツ選帝侯が18世紀のはじめに宮廷をハイデルベルクからこの地に移し、そして、1779年にミュンヘンに移すまでのわずかな間でした。モーツァルトがマンハイムに関わりを持ったのはまさにこの時期に当たっています。
今日のマンハイムは、人口が約30万人。市電がぐるりと一周する中が市の中心部で、街並みは碁盤の目のように整然としています。
駅前には、壮麗な宮殿があり、このほか、街のシンボルともなっている給水塔、市立美術館やライス博物館の美術コレクションなどがこの都市を魅力のあるものとしています。
観光客で賑わう街ではありませんが、私はこの街が大好きです。
(このページの写真は、http://www.mannheim.de/index.html からお借りしています。)
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