ミュンヘン 3

1774.12.6 - 1775.3.6

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モーツァルトの旅 1
モーツァルトの旅 2
モーツァルトの旅 3
ザルツブルク 5
ヴェロナ 3
ミ ラ ノ 3
ザルツブルク 6
ボルツァーノ 2
ミ ラ ノ 4
ヴェロナ 4
ザルツブルク 7
ウィーン 3
ザルツブルク 8
ミュンヘン 3
ザルツブルク 9
ミュンヘン 4
アウグスブルク 2
マンハイム 1
パ リ 4
サン・ジェルマン
パ リ 5
ナンシー
ストラスブール
マンハイム 2
カイスハイム
ミュンヘン 5
ザルツブルク 10
ミュンヘン 6
モーツァルトの旅 4
オペラ《偽の女庭師》
1774年12月6日、モーツァルト父子はミュンヘンに向けてザルツブルクを出発しました。
今回のミュンヘン旅行は、バイエルンの選帝侯マクシミリアン・ヨーゼフ3世の求めに応じてオペラを作曲、上演するためでした。
翌年の1月にはザルツブルクから姉ナンネルも到着し、1月13日に初演された弟のオペラ《偽の女庭師》KV196 (La finta giardiniera) を一緒に見ています。

ナンネルの逗留先は、大きなマルクト広場(左の絵)に面していたそうです。
ザルツブルクからは真冬にもかかわらず、《偽の女庭師》を観るために大勢の人々がミュンヘンにやってきていました。その中には、宮廷の要職にあったツァイル伯爵などの貴族もいました。
モーツァルトは子供の頃からよく知っているフォン・メルクの観劇マナーに対し、冷ややかな視線を投げかけます。

「フォン・メルク氏がオペラ・セーリアを聴きながら、あんまり驚いたり、横切ったりするので、ぼくらはまったく恥ずかしくなりました。その間みんなには、明らかに彼が生涯のうちザルツブルクやインスブルックのほか見てないことが知れてしまいました」(1775年1月11日付けの手紙)

ザルツブルクの人間は田舎者だという軽蔑の気持ちが透けて見えます。モーツァルトに観劇マナーを馬鹿にされながらも、ザルツブルクから来た大勢の人たちはザルツブルクの誇りでもある若き巨匠のオペラに惜しみない拍手を送ったことでしょう。
大司教と気まずい雰囲気に
そのような中にあって、モーツァルト父子に対して冷ややかな態度をとる人物がいました。ほかならぬコロレド大司教です。コロレド大司教は、1月16日、ミュンヘンに到着しました。《偽の女庭師》の初演が行われたのが1月13日でしたから、これをまるで避けるかのようなミュンヘン到着でした。この日の午後6時半頃に到着した大司教は、何とその足でレオポルトがあれほど毛嫌いしていたトゥッツィのオペラを見に行っています。
レオポルトは、オペラがはね、大司教がバイエルン宮廷の高位高官たちに取り囲まれるさまを苦々しげに観察し、次のように書き送っています。

「オペラがひろく喝采を博したことは、私の前便からも、ザルツブルクに着いた他の手紙からも、それにグシュヴェントナーさん自身からも聞いたことでしょう。選帝侯のご一族の方がたや貴族の方がたすべてが大司教猊下になさったこのオペラについての賞讃のお言葉や晴れがましい祝詞をお聞きになって、猊下がどんなに狼狽されておられたかを想像してごらん。あのお方はまったく困惑のあまり、ただ頭でうなずかれ、肩をすくめられるだけで、なにもお答えになることがおできにならなかったのだ」(1775年1月18日付けの手紙)

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