Pleyel (1828)
Boesendorfer Emperor
 Johann Strauss
Louis Dulcken
Graf(1839)
Pleyel (1843)
Erard (1868) 工事中

Pleyel (1828)

1843年制作 (パリ) 製造番号10717

ショパンが愛用した楽器として有名なプレイエル社のピアノで、ショパンが生きていた時代に制作された貴重な楽器です。
ショパンがこの楽器を弾いたかもしれません。
ショパンの生家(ワルシャワ)に1848年製の同型ピアノが、またフランス国立パリ高等学院の楽器博物館に1839年製の同型ピアノが 展示保存されています。

数年前、調律師協会主催コンサートで、プレイエル、エラール、ベーゼンドルファーと、3台のピアノを弾かせていただきました。
そのときのパンフレットに記されていたショパンの言葉は、
「私は気分が優れないときはエラールを弾き、気分のいいときはプレイエルを弾く」
でした。
プレイエルは、音を出すのにエネルギーが必要で、エラールは、すぐに良い音が出る、タッチがたやすくて体調が悪いときは、エラールのほうが演奏が楽。
つまり、気分が優れインスピレーションの表出、自らの内なる声を音にしたいときには、プレイエルが最も自分の分身としてふさわしい、ということだったのではないか、と想像しています。
ショパンと友情で結ばれていたカミーユ・プレイエルは、プレイエル2代目です。 ショパンが祖国のポーランドを離れ、ウイーンを経由して1832年にパリにきたとき、この天才を見出して、世の中に紹介したのはカミーユでした。ショパンがパリで行なう公式のコンサートは全て、プレイエルサロンで行われています。ジョルジュ・サンドとマジョルカ島に出帆するときにもこのピアノの手配を忘れていません。

アクションを手前に引きますとドノゴエのサインがあり、胸がときめきました。
NHKのある番組では、ドノゴエを「ショパンの専属調律師」と言い切っていましたが、ドノゴエは、当時のプレイエル社のアクション部門の主任技術者でした。ドノゴエがアクションを担当し、その際、OKがでた楽器のみに、焼き印がつけられたとされています。
プレイエルには、時折出会いますが、このドノゴエのサインが入っているものは数が少なく、ショパン時代のオリジナルアクションであり、当時の響きを再現しているという証でもあります。

(写真)

この楽器は、頭の後ろから柔らかく発声しているようなフランス語の響きにも似た、独特の魅力を持っています。タッチは、しっとりしていて、エラールのように軽やかに動くことができるタッチとは違っていて、コントロールしずらい楽器です。
「気分の優れないときはエラールを選ぶ」
と言ったと言われるショパンの気持ちがわかるような気がします。
また、プレイエルの大きな特徴として「第2響板」の存在があります。とりはずして弾くことも可能なのですが、やはりこの響板をつけて弾いたほうが、中で蠢くような情念、底鳴りするような一種独特の魅力を醸し出してくれます。
人によって好みが分かれるかもしれませんが、長年弾いてきて、私は、この第2響板をつけて弾く方がプレイエルの良さがでるような気がしています。
革命のエチュードを弾くと、最後の左手バスの音は、この楽器の最低音になります。楽器の限界ギリギリまで使って自分の心情を表現しようとしたのだと思われます。
この楽器は大きな音が出ませんが、この楽器でフォルテッシモを弾くと、かえって悲痛な思いが楽器の中でうずまくような感じがします。現代のスポーツカー並みの性能を持ったフルコンサートピアノで、余裕のフォルテッシモを出すと力強さは出るのですが、なかなか悲痛な思いが伝わりません。その点、プレイエルは、楽器自身が語ってくれるように思います。
ペダル記号をはじめ、ショパンが楽譜に書き込んだ指示記号は、このプレイエルを使って書いたものです。ですから現代のピアノで演奏するときは、少し現代用語に翻訳するような感覚でコントロールしたり、音の濁りが起きないように細心の注意を払ったりしなくてはなりません。
その点、プレイエルでショパンの指示を守って弾くと、ショパンが考えていた響き、そしてアーティキュレーション、ディナーミクを感じることができます。

右手で弾く高音部の黒鍵は、少し角が丸くなっています。ショパンが好んだ独特の指使い、黒鍵から白鍵に指を滑らせるようなレガート奏法です。
そのようにしてこのピアノは、ショパン自身、ショパンの女弟子、同時代のピアニストたちの手によって弾かれているうちに、少しずつ角が丸くなっていったのかもしれません。
プレイエルは、同音反復のしずらさ、スピードや音量の面で、エラールにははるかに及びませんでした。そうしたことから、ヨーロッパを席巻し、各地の宮殿やサロンに広まっていったのは、エラールでした。
プレイエルは、個々の楽器が手づくりの試作品のようです。一台、一台、微妙にタッチも音色もサイズ、高さも異なります。
注文を受け、芸術家とつくり手の間に濃厚なコミュニケーションが存在していた当時のピアノ界のありようにも思いを馳せることができる楽器です。

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