エラール社の創立者は、セバスティアン・エラール(1752−1831)です。
ストラスブールに生まれ、パリに出て、チェンバロの制作を始め、弟とともに、会社を設立しますが、フランス革命が勃発すると、ロンドンに逃れ、ピアノ製作技術を学びました。
フランス革命が終わり、フランスが落ち着きを取り戻すと、パリに戻り、エラール社を再興します。セバスティアン・エラールがこの頃制作に熱中したのがハープでしたが、甥のピエール・エラール(1796?−1855)とともに、ピアノの制作に精力を注ぐようになり、1821年にダブル・エスケープメン・アクションを完成させます。このメカニズム上の改良により、連打が楽にできるようになり、ピアノ演奏法、ひいては、ピアノ作品の可能性を大きく広げることになりました。
1830年にパリで7月革命が起こり、翌年にセバスティアンは亡くなります。後を継いだピエール・エラールは、エラール・ピアノの生産に取り組みました。
エラール・ピアノを愛用したのが、フランツ・リストです。リストは早くも、1824年の6月29日のロンドン王立劇場でのコンサートで、エラールが開発した「ダブル・エスケープメント」機能を備えた新しいグランド・ピアノを弾いて大成功を収めました。
エラールのピアノはリストの演奏と作曲の可能性を広げるにあたって大きな役割を果たし、リストが長く愛用する楽器のひとつとなります。