久元 祐子 ピアノ・リサイタル 2011 年10 月14 日(金) 19:00 銀座ヤマハホール Program note
大バッハの《平均律》からニ長調の曲、続いて、息子ヨハン・クリスティアン・バッハの同じ調のソナタ、そしてこの作品が影響を与えたと考えられるモーツァルトの《デュルニッツ・ソナタ》という流れで弾かせていただきます。前半は、ニ長調の響きに浸っていただき、時代による作風の違い、そして、同じ時代を生きた二人の作曲家の作品における類似性と作風の違いを感じていただければと思います。 後半は、モーツァルトの名作をリストが編曲した作品で始め、今年生誕200年のリストの作品を弾かせていただきます。《二つの伝説》は、数あるリストのピアノ曲の中でも大好きな曲です。東京のリサイタル・シリーズでは、2002年に取り上げて以来となります。 今回のリサイタルでも、昨年に引き続き、ウィーンの名器、ベーゼンドルファー Model 290 Imperialを使います。 ご来場をお待ち申し上げますとともに、率直なご感想をいただければ幸いに存じます。 ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685−1750)の代表作、平均律クラヴィーア曲集の中から、第2巻ニ長調の前奏曲とフーガを弾かせていただく。大バッハの時代には既にピアノの前身であるフォルテピアノは発明されており、大バッハ自身、ジルバーマンが制作したフォルテピアノを弾いたことはあったが、フォルテピアノはまだほとんど普及しておらず、大バッハの鍵盤楽器のための作品は、チェンバロかクラヴィコードで弾かれることを想定して作曲された。 大バッハは、二度目の妻、アンナ・マクダレーナとの間に13人の子供を設けたが、一番下の息子であるヨハン・クリスティアン・バッハ(1735−1782)が後世に名が残る音楽家となった。イタリアで勉強し、カトリックに改宗し、英国で活躍するなど、父親とはまったく異なる音楽人生を歩んだ。1762年に英国に渡り、国王ジョージ3世の王妃シャーロット・ソフィアの音楽教師となり、英国の人気作曲家として活躍した。ちょうどこの頃、ドイツ出身の鍵盤音楽制作者ズンペが考案したスクエア型のフォルテピアノが人気を博していた。クリスティアンは、この楽器を想定して作品5のソナタを作曲し、1768年に出版している。 ヨハン・クリスティアン・バッハは、ヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルト(1756−91)に間違いなく影響を与えたが、その一つの例を、ニ長調作品5の2とモーツァルトの同じ調のニ長調《デュルニッツ・ソナタ》との関係に見ることが出来よう。モーツァルトの最初のピアノ・ソナタのグループ ― KV279から284までの6曲は、記録は残っていないが、1774年から1775年にかけて、旅先のミュンヘンで作曲されたと考えられている。《デュルニッツ・ソナタ》はその中でもモーツァルトにとって自信作だった。この二人の作曲家の類似性と個性の違いを感じながらお聴きいただきたい。 モーツァルトの音楽の魅力は後世の作曲家をとらえたが、『ピアノの魔術師』フランツ・リスト(1811−86)もその一人だった。リストは、モーツァルトの作品を編曲したり、そのフレーズをもとにした自由な作品を作曲している。モーツァルトの《アヴェ・ヴェルム・コルプス》は、最晩年の宗教合唱曲だが、リストは、1862年にこの曲を、グレゴリオ・アレグリ(1582-1652)の『ミゼレーレ』とともにピアノ曲に編曲している。 続いて、同じくリストの《慰め》。1849年頃ワイマールで作曲され、全部で6曲からなるが、きょうは第1番から第3番までを弾かせていただく。特に、レント・プラチード(平静な)と指定された第3番がよく演奏され、親しまれている。 華やかなスターとしての人生を送ったリストだったが、老境にはいると次第に宗教の世界に惹かれるようになり、1865年には僧籍に入ることになる。《二つの伝説》はこの頃の作品で、「ローマで1866年。フランツ・リスト」との署名がある 序文 が残されている。リストは序文で、この作品を書く契機となった2冊の書物 ― アッシジの聖フランチェスコについての伝記である「聖フランチェスコの小さき花」、ジュゼッペ・ミッシマッラが著した「パオラの聖フランチェスコの生涯」 ― を引用している。 リストは、この中から、 ふたりの聖フランチェスコによる逸話を音楽にした。 第1曲は、聖フランチェスコ修道会を創設し、13世紀の初めに活動したアッシジの聖フランチェスコの物語。野原の中の地面にいた小鳥たちに向かって説教を始めると、木に停まっていた小鳥たちも舞いおりて来て聖フランチェスコの説教に耳を傾け、説教が終わるまで一羽の鳥も飛び立つことはなかった、というシーンを描いている。 第2曲のパオラの聖フランシスは、15世紀に活動した聖職者で、イタリア中部のパオラに生まれた。イタリア本土とシチリア島のパレルモの間にあるメッシナ海峡を、マントに乗って渡ったという伝説に基づく作品。 イタリア人フルーティスト・ニコスさんに訳していただいた序文 「さらに先へと熱心に過ぎながら、ふと目を上げると、道端のたくさんの木に、かなりの数の小鳥がとまっているのを見た。驚いた聖フランチェスコは連れに言った。 「私の姉妹の小鳥たちのところへ説教をしに行ってきますので、ここで待っていて下さい」 そして野原に入り、地面にいた小鳥たちに説教を始めた。すると突然、木の上にいた小鳥やありとあらゆる小鳥たちがやってきて、聖フランチェスコの説教が終わり、彼らに祝福が与えられるまで飛び立つこともなく動かずにいた。後に修道士マッセオが修道士ヤコポ・ダ・マッサに語ったところによれば、聖フランチェスコのマントが小鳥たちに触れても一羽も飛び立たなかったそうである。 聖フランチェスコの説教は次のようであった。 「私の姉妹の小鳥たちよ。あなたたちは創造主である神に感謝し、いつもどんな場所でも神を賛美しなければなりません。神はどんな場所へも飛んでゆける自由や、二重、三重もの衣類を与えられ、世界の中であなたたちの子孫が欠けることのないように、ノアの箱舟に一つがいの小鳥を乗せられた。また、、あなたたちが飛ぶことができるように、空気をお造りになったことにも感謝しなさい。さらに、種を捲かず、刈り取りもしないのに食べ物を与えてくださり、飲むためには川や泉を、宿るために山や谷を、巣を作るために高い木を与えて下さった。紡ぐことも縫うこともできないのに、神はあなたたちや、あなたたちの息子たちに衣類をお与えになった。あなたたちの創造主がたくさんの恵みを与えて下さるのは、あなたたちを愛していらっしゃるからです。ですから私の姉妹たちよ、忘恩の罪には気をつけなさい。そしていつも努めて神を賛美しなさい」 このように聖フランチェスコは説教をすると、小鳥たちは口を開け、首をのばし、翼を広げ、恭しく頭を垂れ、態度と歌で大きな喜びを聖人に表した。聖フランチェスコも彼らとともに喜び、たくさんの数の小鳥たちの親密な態度に驚かれた。こうして聖人は、小鳥たちにも創造主を賛美する心を目覚めさせたのである。 説教が終わると、聖フランチェスコは小鳥たちに十字を切り、飛び立つ許可を与えた。すると小鳥たちは皆、見事にさえずりながら飛び立った。そして聖人が十字架の印をすると、四方へ飛び立った。東や西へ、南や北へ、めいめいに素晴らしい歌をさえずりながら群れは飛び去っていった。 このことが意味するのは、キリストの十字架の騎手である聖フランチェスコが小鳥たちに説教し十字を切ると四方へ別れて飛び去ったように、キリストの十字架の説教も聖フランチェスコによって新しくされ、彼とその修道士たちによって世界中に広げられたということである。修道士たちも小鳥たちと同じように、この世界に自分自身のものは何も持たず、彼らの生活を神の神意に委ねているのである。」 「やっとメッシーナの灯台が見えるところに着き、カトーナの浜辺に到着した時、彼は一艘のシチリアへ樽板を運ぶ小舟をみつけた。彼は二人の連れと共にピエトロ・コローゾという船長のところへ行き、彼に言った。「お願いだから兄弟よ、私たちをあなたの小舟で島まで連れていってくれませんか?」しかし船長はこのように頼む彼が聖人であることを知らず、彼に船賃を要求した。彼がそれを持っていないと答えると、船長は「お前たちをのせる船はない」と答えた。 聖人に同行し、一緒にいたアレナの人々は、頼みが断たれると、船長に彼らのうちの一人は聖人であるのは確かであるから、この貧しい兄弟たちを船に乗せてほしいと頼んだ。すると船長は「もし彼が聖人であるのなら、海の上を歩いて奇跡を起こせ」と無礼きわまりない態度で答えた。そして彼らを残して浜辺を出発してしまったのである。 愚かな船員たちの不作法な態度に聖人は狼狽することもなく、いつも助けて下さる聖霊に励まさられて、少し連れから離れると、祈りながらこの苦境からの神の助けを求めた。それから連れのところに戻ってくると彼らに言った。 絵画に描かれたパオラの聖フランチェスコ (Panormus 提供) 「息子たちよ、元気を出しなさい。神の恵みによって私たちは海を渡るための一番よい船を得ることが出来ました」 しかし、純粋で単純な修道士ジョヴァンニは他の船が見当たらずにこう言った。 「われらの父よ。船は行ってしまったのに何で渡ると言うのですか?」 すると彼は答えた。 「主はほかの良い、もっと安全な船をお与えになりました。それは私のマントです」 そして海の上にマントを広げた。修道士ジョヴァンニはほほえみ(なぜなら思慮深い神父パウロがこの聖人の予告する奇跡を疑っていなかったからである)いつもの無邪気さで言った。 「できれば私のマントを使って渡りましょう。私のは新しく、あなたのよりは継ぎはぎもありませんのでもっとみんなを支えることができるでしょう」 ついに我らの聖人がマントを広げ、神の御名において祝福すると、そのマントの一部が持ち上がって小さな帆のようになり、彼の杖がマストのようにその帆を支えた。彼は、彼の連れとともにこの奇跡の小舟に乗り出発した。 アレナの人々は唖然としてこのマントの船が海を急速に進むのを浜辺から見つめ、泣き叫び、まるで船乗りたちが船の上でするのと同じように手をたたいた。かの忘恩な船長は、彼の頼みを拒否したことへの赦しを求め、自分の船に乗らないかと誘った。しかし神は、彼の聖なる御名の栄光の為に我々の聖人に、大地や火を従わせただけでなく、海まで服従させた。また船長の誘いを無視させ、小舟よりも早く港に着くようにさせた」
2010.12.11 へ