久元 祐子 ピアノ・リサイタル
2008 年 9 月 1 日( 月) 19:00 
東京文化会館小ホール
Program note  

2010.12.1
2010.11.26
2010.4.6
2008.9.1
2008.4.15
2007.7.31
2006.9.30
2006.4.22
2005.9.13
2004.9.1
2003.10.29
2003.5.31
2002.11.20
2002.5.9



ベートーヴェン:アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO. 57


シューベルト:即興曲 変ロ長調 作品142の3


ハイドン:ピアノ・ソナタ ヘ長調 Hob.]Y−23
  第1楽章 Moderato
  第2楽章 Adagio
  第3楽章 Presto

モーツァルト:ピアノ・ソナタ ヘ長調 K280
  第1楽章 Allegro assai
  第2楽章 Adagio
  第3楽章 Presto

モーツァルト:ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 KV478
  第1楽章 Allegro
  第2楽章 Andanteo
  第3楽章 Allegro Moderato

 大関 博明(ヴァイオリン)  市坪 俊彦(ヴィオラ)  阪田 宏彰(チェロ)  


<プログラム・ノート>    久元 祐子
今年は、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトと、それぞれ違ったありようで面識とかかわりがあり、いずれも18世紀後半から19世紀初めにウィーンで活躍した正統的な大作曲家の作品を取り上げる。

ベートーヴェン:アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO. 57

 ルートヴッヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770−1827)のアンダンテ・ファヴォリは、もともとは、《ワルトシュタイン・ソナタ》の第2楽章として構想された。ピアノ・ソナタ第21番ハ長調 作品53《ワルトシュタイン》は、ベートーヴェン中期の作風を代表する傑作であり、1803年から1804年にかけて作曲された。当初は、このアンダンテ・ファヴォリを第2楽章としてつくったのだが、この曲を第2楽章とするとどうも長すぎる、と友人に言われたこともあり、ベートーヴェンは考え直して、改めて《ワルトシュタイン・ソナタ》の第2楽章として"Introduzione" を作曲し、今の形にした。そして、もとの第2楽章は、独立の作品《アンダンテ・ファヴォリ》として、1806年に出版された。
 この曲を第2楽章として、《ワルトシュタイン・ソナタ》を通して弾いてみると、やはり、冗長になってしまうことは否めない。最終的な形の方が、遥かに緊張感の高い、凝縮された芸術作品になっていると思う。そのようなソナタとの関連を離れ、独立のピアノ作品として見ると、《アンダンテ・ファヴォリ》は、穏やかな優しさと憧れにあふれ、また底に秘めたエネルギーも併せ持った名曲である。  

シューベルト:即興曲 変ロ長調 作品142の3
 「歌曲の王」、フランツ・ペーター・シューベルト(1797−1828)は、ピアノのための作品もたくさん残している。ワルツ、レントラー、エコセーズなどの舞曲だけでも400曲以上になるとも言われ、それらを全部弾いたり、聴いたりする機会はほとんどないかもしれないが、たとえ初めて聴く、知らない曲であっても、すぐにシューベルトの曲だとわかる。シューベルトの音楽には、何とも言えない香りがあるからだろう。
 きょう弾かせていただく作品142の3を含む4曲の即興曲は、死の前の年である1827年の暮れに続けて作曲された。シューベルトの音楽を愛し、その作品の発掘に尽力したロベルト・シューマンは、この即興曲の第1曲、第2曲は、同じピアノ・ソナタの第1楽章、第2楽章で、第4曲をその後につければ1曲のピアノ・ソナタが完成すると考えた。
 確かに、調性的には関連があり、そのような推測は十分に成り立つだろうが、シューベルトのピアノ・ソナタの多くの楽章同様、むしろ単独で弾く方が、その音楽のかけがえのなさが感じられるのかもしれない。きょう弾かせていただく第3曲は、「ロザムンデ」のテーマと、これをもとにした5曲の変奏曲からなる。

ハイドン:ピアノ・ソナタ ヘ長調 Hob.]Y−23

 前半の最後は、ヨーゼフ・ハイドン(1732−1809)のピアノ・ソナタ ヘ長調 Hob.]Y−23。Hob.は、ホーボーケン番号と呼ばれ、オランダの音楽学者ホーボーケンがハイドンの作品をジャンル別に分類してつけた作品番号である。Hob.]Yには、鍵盤楽器のためのソナタが分類されている。
 ハイドン、そして友人でもあったヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルト(1756−91)が生きた時代は、ちょうど鍵盤楽器の交替の時期に当たっていた。18世紀後半の短期間のうちに、専らチェンバロだけが使われていた時代から、ピアノの前身であるピアノフォルテが使われ始め、そしてチェンバロよりもピアノフォルテが使われる時代へと移っていった。つまり、ハイドン、モーツァルトの時代には、タイプとしては、チェンバロとピアノフォルテ、そして別のタイプの楽器であるクラヴィコードの三種類の鍵盤楽器が使われており、この三種類の鍵盤楽器は、ドイツやオーストリアでは「クラヴィーア」(Clavier)と総称されていた。モーツァルトの手紙の中でも「クラヴィーア(Clavier)」という言葉がよく出てくるが、漠然と鍵盤楽器一般を指して使っていることが多い。ハイドンはモーツァルトよりもピアノフォルテを知るのは遅かったと考えられているが、モーツァルトよりも長生きし、モーツァルトが知らなかった新しいタイプの楽器を弾いて、後期に優れたピアノ・ソナタを残している。現代の「ピアノ」に近い楽器がもっぱら使われる時代が来るのは、19世紀半ばのことである。
 ヘ長調 Hob.]Y−23のソナタは、1773年に作曲された6曲からなるソナタ集の中の第3曲で、この曲集は翌1774年にウィーンのクルツ・ベック社から出版されている。ハイドンはこの曲集を雇い主であるエステルハージー家の王子ニコラウス・エステルハージーに献呈しており、出版されたスコアには王子に捧げる長文の献辞が添えられている。確証はないが、この時期、まだハイドンは、新しい楽器であるピアノフォルテにはなじんでおらず、おそらくは、伝統的な鍵盤楽器であるチェンバロを想定してこの曲をつくったと考えられている。チェンバロ・ソナタあるいはクラヴィーア・ソナタと言うべきかもしれないが、今日ではたいていピアノで弾かれるので、ピアノ・ソナタと表記した。後半に弾かせていただく、同じ調のモーツァルトのソナタと聴き比べていただきたい。


モーツァルト:ピアノ・ソナタ ヘ長調 K280

 モーツァルトは、18曲のピアノ・ソナタを残している。きょう弾かせていただく、ヘ長調K280のソナタは、18曲のピアノ・ソナタの中で最初につくられた6曲からなる曲集の第2曲である。モーツァルトは、1774年暮れから翌年の春にかけて、バイエルン選帝侯マクシミリアン・ヨーゼフ3世からオペラの注文を受け、ミュンヘンに滞在した。このオペラ《偽りの女庭師》は1775年1月13日に初演されたが、6曲のピアノ・ソナタは、この頃に作曲されたと考えられている。その中の1曲、ニ長調K284は、ミュンヘンの音楽愛好家、デュルニッツ男爵のために作曲されたことがわかっているが、ほかの曲もこの人物のためにつくられた可能性がある。この時期、ミュンヘンの近辺ではピアノフォルテの生産が本格的に始まっており、自筆譜の強弱記号などから見て、6曲のソナタは、ピアノフォルテを想定して作曲された可能性が高いと考えられている。
 第1楽章は、祝祭的な気分が垣間見える明るい作風で、変化と動きに富む。続く第2楽章は、対照的にヘ短調のしみじみとした雰囲気で始まり、8分の6拍子のシチリアーノ風の旋律が味わい深い印象を与える。後年の名作ピアノ・コンチェルト イ長調K488の第2楽章を予告しているような曲である。第3楽章は、ふたたび明るい雰囲気に戻り、躍動感に満ちて曲を閉じる。

モーツァルト:ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 KV478
 モーツァルトやハイドンの時代には、クラヴィーアと弦楽器などを組み合わせた室内楽が盛んにつくられた。その多くは、貴族や上流市民の音楽愛好家が仲間内で楽しむためのもので、モーツァルトもそのようなタイプの作品をたくさん残している。
 2曲残されているピアノ四重奏曲の作曲の動機もそのようなものだった。ウィーンの出版ホフマイスターから愛好家向けに3曲のピアノ四重奏曲を作曲するよう依頼され、きょう演奏されるト短調K478だけがホフマイスターから出版されたが、愛好家にはあまりにも難しく、残りの1曲だけ作曲することにし、しかもこの変ホ長調K493は、別のウィーンの出版者であるアルタリアから出版されている。
 ト短調K478は、1785年10月16日、ウィーンで作曲された。ザルツブルクからウィーンに移り住んで4年あまりが過ぎ、ウィーン楽壇で地歩を固めたモーツァルト絶頂期の作品である。第1楽章は、ト短調で緊張感に満ち、変化に富む。第2楽章は、瞑想的な雰囲気のアンダンテ。そして終楽章は、解放感にあふれるロンドとなっている。
   

2007.7.31 へ