第15 回 セレモアつくば チャリティ コンサート
2010.年 4 月6 日(火) 19:00 紀尾井ホール
Program note

  
2010.12.1
2010.11.26
2010.4.6
2008.9.1
2008.4.15
2007.7.31
2006.9.30
2006.4.22
2005.9.13
2004.9.1
2003.10.29
2003.5.31
2002.11.20
2002.5.9



 モーツァルト : 歌劇《フィガロの結婚序曲 KV492

    
 モーツァルト : ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 KV467   

  第1楽章 Allegro 
  第2楽章 Larghetto 
  第3楽章 Allegretto 


 モーツァルト : 交響曲 第40番 ト短調 KV550     

  第1楽章 Molto Allegro 
  第2楽章 Andante  
  第3楽章 Menuetto(Allegrretto) 
  第4楽章 Finale(Allegro assai) 


 読売日本交響弦楽団  指揮 : 下野 竜也  ピアノ : 久元 祐子

 主催:(株)セレモアつくば    マネジメント:プロ アルテ ムジケ

<プログラム・ノート>    久元 祐子 
 今夜は、オーストリアの作曲家、ヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756〜1791)の作品をお楽しみいただきます。
 モーツァルトが生まれたザルツブルクは、カトリックの大司教が世俗の世界も支配する宗教国家でした。モーツァルトは、大司教に仕えるヴァイオリン奏者、宮廷楽団の副楽長だった父レオポルト・モーツァルトの教育を受け、幼少の頃からヨーロッパ中を旅して、名人芸を披露し、早くからその名を知られるようになりました。しかし、成人すると、狭い世界だったザルツブルクに次第に嫌気がさすようになり、21歳の時、大司教と決裂してにウィーンに移り住みました。
 当時のウィーンは、ハプスブルク家が支配するオーストリア帝国の首都でした。モーツァルトは、皇帝ヨーゼフ2世にも目をかけられてたちまち頭角を現し、次々に名曲を作曲していきました。モーツァルトが残した作品は、600曲以上にも上りますが、そのもっとも優れた作品は、ウィーン時代につくられたものです。
 1791年秋、原因不明の病がモーツァルトを襲い、モーツァルトは、ウィーンで36年に満たない短い生涯を閉じました。モーツァルトの突然の死についてはさまざまな風説が飛び交い、近年になっても毎年のように新説が発表されるほどです。モーツァルトは時代の先端を行く人気音楽家でしたが、晩年には借金にあえぎ、その実像についてはいまだ謎に包まれている面があります。
 きょうお聴きいただく3曲は、モーツァルトの円熟期につくられた作品で、いずれもモーツァルトの作風を代表する名曲です。
 なお、KVは、ケッヘル番号の略で、ルートヴィヒ・リッター・フォン・ケッヒェル(1800-77)によって作成されたモーツァルトの作品番号です。年代順に番号が振られています。

モーツァルト : オペラ《フィガロの結婚序曲 KV492

 オペラはモーツァルトがもっとも情熱を傾けた分野で、その代表作がこの『フィガロの結婚』です。1785年秋から翌1786年春にかけてウィーンで作曲され、 1786年5月1日、ウイーンのブルク劇場で初演されました。原作は、フランスの劇作家ボーマルシェの風刺劇ですが、イタリアの台本作家ダ・ポンテが台本を書き、モーツァルトが音楽をつけました。
舞台は、18世紀半ばのスペイン、セビリア近郊のアルマヴィーヴァ伯爵邸。伯爵夫人に仕えるフィガロとスザンナの結婚直前の騒動を描いています。花嫁に対する伯爵の初夜権がほのめかされ、貴族に対する風刺が含まれていたため、ヨーロッパ各地で上演禁止にされた、いわくつきの演目でした。ダ・ポンテとモーツァルトは、政治色を薄め、皇帝ヨーゼフ2世の許可を得て上演にこぎ着けたと言われています。
 序曲は、いかにもモーツァルトらしいスピード感あふれる軽快な音楽で、コンサートで単独でもよく演奏されます。

 

◇モーツァルト : ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 KV467
 オペラとともにモーツァルトの優れた芸術性が表現されているとされる分野が、ピアノ協奏曲です。『フィガロの結婚』の作曲に取りかかる少し前の1784年、モーツァルトは、ピアノ協奏曲の予約コンサートシリーズという、これまでになかった方法で自作のピアノ協奏曲のコンサートを始めました。それは、もはや音楽家が宮廷や教会、貴族の付属物ではなく、独立した芸術家なのだ、という矜持の表れでもありました。こうして、1784年2月9日に作曲された変ホ長調KV449から 1786年12月4日に作曲された ハ長調KV503までの12曲のピアノ協奏曲が次々に初演されていきました。この期間はモーツァルトの短い絶頂期に当たっています。
 鍵盤楽器がオーケストラと協演する作品ジャンルは、バロック時代から存在しましたが、モーツァルトがウィーン時代に作曲したピアノ協奏曲は、それまでの作曲家の作品とは全く異なる芸術でした。そこには、モーツァルトのオペラ作曲家としての経験と才能が縦横に発揮されており、音楽にドラマ性と奥行き、さらには官能性を与えています。ときには弦楽器がまったく沈黙し、管楽器がそれぞれに語り、また歌い、ソロと戯れるシーンは、それまで誰も聴いたことがなかった音楽世界でした。
 きょう弾かせていただく、ハ長調KV467のピアノ協奏曲は、1785年3月9日にウィーン で完成し、翌3月10日にブルク劇場で初演されました。3つの楽章からできています。
 第1楽章は、アレグロ・マエストーソ(堂々と、快速に)。マーチ風の旋律で始まる、明るい雰囲気を持った楽章です。楽章の終わりの方に出てくるピアノ・ソロによるカデンツァは、モーツァルト自身のものは残されておらず、きょうは、リパッティによるカデンツァを弾かせていただきます。
 第2楽章は、アンダンテ。弱音のヴァイオリンで奏されるテーマが印象的な、美しい楽章です。第3楽章は、アレグロ・ヴィヴァーチェ・アッサイ(非常に速いテンポで)。躍動感がみなぎる音楽です。
モーツァルト : 交響曲 第40番 ホ短調 KV550

 モーツァルトは、四十数曲の交響曲を残していますが、最後の3曲、変ホ長調KV543、ト短調KV550、ハ長調KV551(《ジュピター》の愛称で呼ばれる。)は、「三大シンフォニー」と呼ばれ、最高峰をなしているとされています。この3曲は、1788年の6月から8月にかけて、約2ヶ月間に、驚異的なスピードで作曲されました。生前に演奏されたかどうかについても確たる資料はなく、作曲の動機も含めて不明なことの多い名曲群となっています。
 3曲は、音楽の性格がかなり異なっていますが、きょう演奏される第2曲、ト短調KV550は、悲劇的な色彩も感じられます。楽器編成としては、 ティンパニとトランペットを欠いていることもあり、祝祭的な華やかさは影を潜めています。自作目録から、1788年7月25日にウィーンで作曲されたことはわかっています。モーツァルトのライバルであった宮廷楽長サリエリの指揮で演奏されたという説もありますが、その真偽も含め、詳しいことはよくわかっていません。
 第1楽章は、モルト・アレグロ(非常に速く)。よく知られたト短調 の動機で開始されます。モーツァルトらしいスピード感にあふれます。第2楽章は、打って変わって、変ホ長調、アンダンテ。瞑想的で天国的な美しさが漂う音楽です。
 第3楽章は、メヌエット。テーマが重なり合っていくフーガの複雑な技法が使われています。第4楽章は、アレグロ・アッサイ(非常に速く)。不安定な音型で始まり、展開部では、さらに不安が交錯する、複雑で奥行きが深い音楽です。


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