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《フィガロの結婚》は、ウィーン以上にボヘミアのプラハで大変な人気を博していました。
モーツァルトは、プラハの愛好家協会から《フィガロの結婚》上演の依頼を受け、1787年1月11日、コンスタンツェとともにプラハに到着しました。モーツァルトは、プラハの劇場ですでに完成していた新作のシンフォニー、交響曲第38番ニ長調
KV504《プラハ》を初演、続いて自らの指揮で、《フィガロの結婚》を上演しました。プラハの聴衆は、熱狂的な拍手でこれに応えたと言われます。
モーツァルトは、友人のジャカンに興奮気味に書き送っています。
「−−なにしろここでは、話題といえば ― 『フ ィガロ』で持ちきり。弾くのも、吹くのも、歌うのも、そして口笛も ― I『フィガロ』ばかり。 ―
『フィガロ』以 外 ― ほかのオペラになんか目もくれないんだ。明けても暮れても『フィガロ』、『フィガロ』。たしかに、ぼくには 大変な名誉だよ。
― 」(1787年1月15日付けの手紙)
プラハでの滞在は一月足らずでしたが、モーツァルト夫妻にとり最も幸福に満ちあふれたひとときだったことだろうと思われます。
プラハは本当に美しい街です。上の絵は、池阪 忠さん の水彩画で、世界でも屈指の大きさを誇る城塞プラハ城が描かれています。
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