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- プロイセン王国の宮殿のあるポツダムからいったんライプツィヒに戻ったモーツァルトは、5月19日、王国の首都であるベルリン(Berlin)を訪れました。
早速、王室劇場で上演されていた《後宮からの誘拐》を観に行ったという話が伝わっていますが、詳しいことはわかっていません。
また、5月23日には、コンサートを開催し、モーツァルトが演奏するとともに、当時11才の、ヨハン・ネーポムク・フンメル(Johann Nepomuk
Hummel. 1778 - 1837) がクラヴィーアのための変奏曲を弾いたとも伝えられます。
ニッセンの伝記によれば、国王フリードリヒ・ウィルヘルム2世は、破格の好条件をモーツァルトに提示し、しきりにベルリンに残って宮廷楽団の面倒を看てくれるように頼んだといいますが、このエピソードもまた真偽のほどは確かめられていません。
ベルリンからモーツァルトは、ウィーンの妻コンステンツェ宛てに手紙を書いています。
「この手紙、どこで書いていると思う? ― 宿のぼくの部屋で? ― いや動物園の飲食店(眺めのよいあづまや)で、きょうは、ひとりぼっちの食事をしたんだ。きみをひたすら想う事が出来るようにね。
― 」(ベルリン 1789年5月23日付けの手紙)。
上の絵は、ベルリンの象徴、ブランデンブルク門で、池阪 忠さん による水彩画です。
古代ギリシアのアクロポリスを手本として造られ、門の上にはローマの 馬車に乗った勝利の女神の像が冠せられています。
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