パドゥヴァ

1771.3.12 - 3.14  

.

モーツァルトの旅 1
モーツァルトの旅 2
ザルツブルク 3
地図
ウィーン 2
ブ ル ノ
ウィーン 3
ザルツブルク 4
地図
インスブルック
ボルツァーノ
ロヴェレート
ヴェロナ1
マントヴァ
クレモナ
ミ ラ ノ 1
パ ル マ
ボローニャ 1
フィレンツェ 1
ロ ー マ 1
ナ ポ リ 1
ロ ー マ 2
ボローニャ 2
ミ ラ ノ 2
ト リ ノ
ヴェネツィア
パドゥヴァ
ヴェロナ 2
モーツァルトの旅 3
モーツァルトの旅 4
当時はヴェネツィア共和国


3月12日、モーツァルト父子は、ヴェネツィアを発ち、小舟でブレンタ川を上ってパドゥヴァに着きました。
パドゥヴァは、古くから北イタリアの要衝として栄え、諸国間の争奪の対象となってきましたが、15世紀のはじめには、内陸進出をめざすヴェネツィア共和国の支配下に入りました。

「イル・サント」
3月12日、モーツァルト父子は、ヴェネツィアを発ち、小舟でブレンタ川を上ってパドゥヴァに着きました。
パドゥヴァは、古くから北イタリアの要衝として栄え、諸国間の争奪の対象となってきましたが、15世紀のはじめには、内陸進出をめざすヴェネツィア共和国の支配下に入りました。
上の写真は、8つの半球天井を持っていることで有名なサン・タントニオ教会です。13世紀から建設が始められた由緒ある教会で、別名「イル・サント」とも呼ばれ、多くの巡礼者を集めます。
モーツァルトはここでオルガンを弾いています。また、サンタ・ジュスティーナ教会でもオルガンを弾いています。
レオポルトによれば、モーツァルトは、パドゥヴァから仕事の注文を受けたようですが、この仕事が、オラトリオ《解放されたベトゥーリア》KV118(74c)で、ザルツブルクに戻ってから、1771年夏に作曲されています。

次 へ

top