ミ ラ ノ 2

1770.10.18 - 1771.1.14  

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モーツァルトの旅 2
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オペラ《ポントの王ミトリダーテ》
ボローニャを発ったモーツァルト父子は、パルマを経て、10月18日に、ミラノに到着しました。
今回のミラノ訪問は、ミラノの宮廷から依頼されたオペラ《ポントの王ミトリダーテ》を作曲し、初演するためでした。ミラノの宮廷に主は、オーストリア帝国の女帝マリア・テレジアの皇子フェルディナンド大公でした。
モーツァルトは、歯痛に悩まされながらも《ポントの王ミトリダーテ》の作曲に全力を傾けます。姉に宛てた手紙には、「指が書き疲れて、疲れて、疲れている弟」と署名しています。
このオペラの台本はラシーヌの戯曲が下敷きになっています。ローマ時代の小アジアが舞台で、国王と二人の息子の確執、敵国ローマと内通する長男の裏切り、次男と王妃との姦通、国王の悲劇的な最期といった深刻な内容となっています。
オペラの上演につきものの妨害もありましたが、オペラは1770年12月26日、ミラノのテアトロ・レージョ・ドゥカーレ(Teatro Region Ducale 大公劇場)で初演されました。レオポルトによれば、オーケストラの編成は、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンがそれぞれ14,チェロが2,コントラバスが2,ヴィオラが6,ファゴット、フルート、高音トランペットがそれぞれ2,ホルンが4という編成でした。14歳のモーツァルトがクラヴィーアを弾きながら指揮し、レオポルトは桟敷席から上演の模様を見守りました。初演は成功で、さらに2回上演されました。プリマ・ドンナのアリアはたびたびアンコールされ、たいへんな拍手喝采だったといいます。
初演を成功させたモーツァルト父子は、明けて1771年1月の後半をトリノで過ごし、また、ミラノに戻ってきた後、2月4日にヴェネチアに向けて出発しました。
スカラ座
《ポントの王ミトリダーテ》が上演されたテアトロ・レージョ・ドゥカーレは、1776年の火災で焼失してしまいました。
これに代わる形で建設されたのが、スカラ座です。サンタ・マリア・デラ・スカラという教会があった場所に建てられました。
3000人が収容できる、屈指のオペラ劇場です。
こけら落としが行われたのは1778年8月3日のことで、このとき上演されたのは、アントニオ・サリエリのオペラ《ふたたび見いだされたエウロペーア》でした。
第二次大戦の空襲で破壊され、1946年に建て直されました。
2002年1月19日から2004年11月までの長期間の工事を経て、改修されました。



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