クレモナ 

1770.1.20-1.21?  

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ヴァイオリン制作の拠点
マントヴァを発ったモーツァルト父子は、1770年1月20日、クレモナ(Cremona)に立ち寄っています。ポー川中流の左岸にある街です。
クレモナは、古くは、ミラノ公国の一部でしたが、その後、ヴェネツィア共和国の攻撃を受けた後、スペイン領となり、1707年にオーストリアのハプスブルク家の支配下に入りました。
クレモナでは 16世紀からヴァイオリンの制作で名を馳せるようになりました。アマーティ、グァルネリ、アントニオ・ストラディバリなど名だたるヴァイオリン制作家たちが腕を競いました。
大聖堂が聳え、中世の街並みが保存されています。


ハッセ《ティート帝の慈悲》鑑賞
モーツァルトはクレモナで、やはりハッセのオペラ《ティート帝の慈悲》を観ています。21年後、自らが亡くなる年に同じ題目で作曲することになろうとは、15歳の少年はまだ知る由もありません。
ここでも少年の観察は辛辣です。
プリマ・ドンナ、「悪くはありませんが、もう歳がいっていて、へぼで、演技ほどにはよく歌いません」。
女性第二歌手、「舞台でも下手ではなく、若々しいのですが、とくにいいところはありません」。
男性第一歌手、「なかなかの音楽家。きれいな声と美しいカンタービレ」。
他の二人のカストラート、「若くて、かなり良い」。
「男性第一舞踊手、見事。女性第一舞踊手、見事。ただし、実にたいへんなへぼ」。
このほか、「オペラの幕開きのちょい役には惜しいバレリーナ」がひとりいたそう ですが、「その他は月並み」。
「ここにも道化の踊り手がいて、跳ぶごとにオナラをしていました」そうです。

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