ヴェルサイユ 1

1763.12.24 - 1764.1.8

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モーツァルトの旅 1
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宮殿でのミサ
グリムの紹介で、モーツァルト一家は、ヴェルサイユを訪ね、、ヴェルサイユ宮殿への伺候を許されます。
このあまりにも有名な宮殿を建てさせた太陽王ルイ14世はすでに亡く、曾孫のルイ15世が宮殿の主でした。
モーツァルト一家は、ヴェルサイユに着いたばかりのクリスマス・イヴに、宮殿内の宮廷礼拝堂(右の写真)で深夜ミサに列席しています。
この宮廷礼拝堂は、ヴェルサイユ宮殿の一般コースに入っており、見ることができます。
レオポルトは宮殿の中の様子も書き残しています。
フランスでは国王やその家族に遭遇しても、頭を下げたり、膝を曲げたりする習慣がない、というのも興味深い観察です。このミサには、ルイ15世、そして皇女も列席していました。
レオポルトは、ミサの奏楽を冷静に観察しています。彼が評価したのは合唱でした。


「このうえもっとヴェルサイユの説明をしてさしあげることを私からお望みになることは不可能です。ただ申し上げたいことは、私どもがクリスマス・イヴにそこに着き、宮廷礼拝堂で深夜ミサと三つのミサ聖祭に列席したことです。私どもが礼拝堂二階うしろの高廊におりましたとき、国王は王太子妃のところから戻ってまいられましたが、王太子妃のお兄さまのザクセン選帝侯がお亡くなりになったという知らせを受け取られたため、それをお伝えになったものです。この場所で、まずい音楽もすぐれた音楽も聴きました。独唱で歌われるもので詠唱に似ているような曲はすぺて内容がなく、冷たく、みじめで、つまりフランス的ですが、合唱曲はみんなすぐれていて、かなり立派です。私は毎日息子といっしょに、宮廷礼拝堂へ国王のミサに出かけて合唱曲を聴きましたが、こうした曲はいつでも演奏されているモテットのなかで聴けるのです。」(パリ 1764年2月1日)

元旦の晩餐会
1764年元旦、レオポルトの報告によれば、モーツァルト一家は宮殿の中で、国王ルイ15世夫妻の晩餐会に招待され、国王夫妻と同じテーブルで食事をしました。
この部屋が、大会食の間(右の写真)です。
王妃マリー・レクザンスカは、ポーランドの皇女でしたが、とてもドイツ語が上手で、ドイツ語をまったく解さない国王との通訳もしてくれた、とレオポルトは書いています。

レオポルトの報告はとても現実味があります。
この晩餐会の話は、レオポルトの手紙以外には記録がないので、その信憑性に疑問を投げかける向きもありますが、まったくのでたらめとは言えないと思います。。

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