ミュンヘン 1

1762.1.15 - 2.2

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モーツァルトの旅 1
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バイエルン選帝侯領

モーツァルトトが訪れた当時は、バイエルン選帝侯領の首都で、このときのバイエルン選帝侯は、マクシミリアン・ヨーゼフ3世(Maximilian III. Joseph, 1727 - 1777)(左の肖像画)でした。 モーツァルトと姉ナンネルは、マクシミリアン・ヨーゼフ3世の前で演奏したようですが、このときの模様はよく分かっていません。
モーツァルトが選帝侯に演奏を披露したと考えられる宮殿は、現在「レジデンツ博物館」 (左の写真)として残され、ミュンヘンを代表する見所となっています。バイエルンのヴィッテルスバッハ家の王の肖像画が飾られているほか、宝物庫には、宝石が散りばめられた王冠などさまざまな宝物が展示されています。 
このレジデンツは、もともとは、ヴィッテルスバッハ家のステファン3世が造営したもので、その後何度となく増改築されています。現在は、4つの博物館、2つの大劇場、2つのコンサートホールとして利用されています。有名なコンサートホール“ヘルクレス・ザール”も、レジデンツの一角にあります。



新市庁舎

ミュンヘンは、12世紀に、ハインリヒ獅子王によって造営された都市です。その死後、ミュンヘンを中心とするバイエルンは、ヴィッテルスバッハ家が支配するところとなり、一族の間で抗争も繰り返されましたが、ヴィッテルスバッハ家は、1918年にドイツ帝国が滅亡するまで続き、神聖ローマ帝国が存続した時代は、神聖ローマ皇帝を選挙する地位を持つ有力な地位を保持しました。
ヴィッテルスバッハ家の所領は、バイエルン選帝侯領と称されました。
ミュンヘンの中心にあるマリエン広場には、聖母教会、新旧の市庁舎など、ミュンヘンの見所が集まっています。下の写真の右に「新市庁舎」が見えますが、、ミュンヘン市のオフィスが入っている現役の建物です。建築からすでに100年近くが経っているのですが、それを「新」市庁舎、と呼ぶところに、長い歴史の連続性を感じます。この建物には、大きな仕掛け時計があることでも有名です。

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