久元祐子 記事

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「五線譜の向こうに見えるものを探して」  雑誌ショパン 9月号
 歴史的な文脈や社会的な背景から音楽を掘り下げる切り口が注目を集め、レクチャ:リサイタルの依頼が増えている。しかし、5月に予定されている東京文化会館のリサイタルは「年に一回はトーク抜きで、純粋にピアニストとして弾きたいものを弾こうと思いまして…」 という位置づけ。
 モーツァルト、べー卜ーヴェン、リスト、そしてラトヴィアの作曲家ヴィートールスの作品を演奏する予定だ。曲目については、かなり詳細なプログラム・ノートを事前にホームページで公開する試みをしている。
「今度はどんな曲を弾くの?とよく質問されるので、ホームページを見てね、とお答えできるようにしてみました。これを前もって読んでいただければ、リサイタル当日には演奏に集中できるメリットもあります」
 演奏活動のかたわら、「ピアノが弾けない深夜と早朝を生かして」モーツァルトについて2冊の本を著し、本格的なウェブサイト「モーツァルトのピアノ音楽」を運営している。
「機械は苦手なんですけど、いろいろな方に助けていただいて(笑)」
 ピアニストとしての深い音楽的教養と、気さくで好奇心にあふれる人柄がマッチして独特の魅力が醸し出されているせいか,ホームページにはアクセスする人が絶えない。
 久元さんの練習室には、グランドピアノ、CDや本などの膨大な資料、パソコン、そしてバッハがこよなく愛した鍵盤楽器のクラヴィコードが置かれている。
「ピアノの発達で取りこぼされた息遣いや繊細な香り、独特のピァニッシモ・・・それがクラヴィコーーには残っていて、弾いていると細やかな音までとらえられるような気がします」
 そう語る久元さんの目は、まるでミステリーを解くかのように輝いている。『学び』と『遊び』が結びついているのだ。
「曲を五線紙に記録するのは確かに良い方法です。だけど、人間が表現したいことの何分の一しか書けないのも事実。『その向こうに何があるのだろう』と思って探してみると、歌が聞こえる、街の風景が見える、同時代の作曲家の顔も浮かぶ、作曲家の人生模様が見える。私はそこに興味があります。文章でも迫ることはできますが、限界がありますので、ピアニストとして演奏で表現したいと思っています」
 ピアノを弾くことにとどまらない多彩な活動を、薄紙を1枚1枚重ねるように、日々営み、そのすべてが音楽の本質に向かって収束していく。久元さんの語りに耳を傾けた時間は、薄紙がまた1枚、ふっと重なる様子が見えたかのような、不思議なひとときであった。

<文> 山本 美芽       
<写真>酒寄 克夫

ショパン(2002年5月号)pdfファイル    

高橋 英郎 /久元 祐子 対談  Mozartiade 2月号
(この対談は、「モーツァルト劇場]」主催によるスプリングコンサートを前に、「モーツァルトの即興性」をテーマに行われました。雲の上の存在である高橋英郎先生との対談で初めは緊張しましたが、思わず話が弾み、とても楽しいひとときでした。)

高橋: 久元さんのコンサートでは、モーツァルトの他にべ一トーヴェンも聴かせていただきましたが、2枚目のCDがべ一トーヴェンでしたね。
久元: はい、最初がショパン、次がべ一トーヴェンだったので、モーツァルトはいつになるんだと皆さんに言われるんですが、怖ろしくて……。
高橋: ロマン派には隠れみのがあるけど、モーツァルトは素踊りみたいなもので、全部が出てしまう。一番難しいかもしれませんね。
久元: しゃべったり書くのは何とかなっても、弾く、となると本当に難しいです。
高橋: いまは大ホールのせいかなかなかニュアンスのあるモーツァノレトを弾ける人が少ないですね。ホールのせいだけではなくて、時代のテンポ感も違いますが。ウィーンに行くと、アンダンテという歩くテンポが基本にあって、連れでる犬までアンダンテだなあと思います(笑)。東京は雑駁で、せわしなくて、ニューヨークにちょっと似てますね。
久元: 人の歩くスピードが速いなと思います。同じ日本でも東京と京都ではまた違い・・・。

高橋: 久元さんはどちらのご出身ですか?
久元: 生まれたのは博多なんですが、その後横浜で育って、今は新宿に住んでるので、故郷というのはないんです。自分の故郷はここだ、と言う方がうらやましいです。いる場所、いる場所が故郷で、旅烏みたいな・・・。先生はどちらのお生まれですか。
高橋: ぼくは東京杉並で、この辺の生まれなんですよ。まだ阿佐谷駅まで麦畑だった頃。
久元:そうですか、このあたりにコンサートに来ることが多いんで、荻窪とか阿佐ヶ谷とか。いいなあって思ってました。いろんな生活の香りがあって、飲み屋もたくさんあって・・・。
高橋: お酒はお好きですか?
久元: ええ、日本酒とか、ワインとか、何でも・・・。たくさんは飲めないんですけど、モーツァノレトも好きだったし、とか言い訳して(笑)。本番の直前はもちろん飲みませんが。
高橋 :ぼくも会話をおつまみに、少量を飲むのが好きですね。
久元:: 私は食べたりっていうのも多いんで……(笑)。ダイエットはいつも先延ばしです。
高橋 :久元さんの書かれた本で、K309のソナタは「べ一ズレ書簡」に通じるものがある、あのテンポでいくといいんじゃないかと書かれてますね。
久元 :演奏家なので勝手なことを書きましたが・・・。
高橋 :いや、マンハイムでの躍動感を読んだ鋭い指摘だと思います。あとトルコ行進曲(K331)を、久元さんはだいぶ速いテンポで演奏されていますが、同感ですね。『後宮からの逃走』のトルコ風の合唱に近いものがある。
久元 :モーツァルトのトルコに対するイメージがああなら、作曲したのも同じ頃ですし、それに近いんじゃないかと思います。あとは「アレグレット」という指示をどう見るか。アマチュア向けに出版するため、とっつきやすいテンポにしたという想像も成り立つし、実際に当時アレグレットがどのテンポだったかという確証もありませんし……。

高橋:モーツァルトのピアノ・ソナタを弾いてもらいたい人、となると今、なかなか探すのが難しいんですが……。久元さんはどんな演奏を聴かれますか?
久元: 現代では、内田光子さん、すごいなと思います。ピリスも好きです。それからヴァイオリンとのデュオでは、クララ・ハスキルをよく聴きます。
高橋 :コンチェルトもいいですよね。モーツァルトはピアノのお弟子さんたちと仲が良かったようですが、アウエルンハンマー嬢だけはだいぶ敬遠していたみたいですね。「悪魔のようなブスだ」なんて言って。彼女のためにピアノ・ソナタとか、2台のピアノのためのソナタなんかは書いているけど、連弾は書いてないし。
久元:私もお聞きしたかったんですよ。「肌を露出していて気味が悪い」とかって……。
高橋 :彼女のほうは完全にモーツァルトに好意を持っていて、結婚すると言いふらしてますよね。
久元 :ただ、曲を見るかぎり、彼女はすばらしいピアニストだとモーツァルトが確信していたからこそ、あれだけ2台のピアノが対等にわたり合う曲を書いたんだと思います。本当は仲良しなのに、レオポルトに対して牽制するためにああいう悪口を書いたのかな、という穿った見方もできると思うんです。
高橋 :唯一演奏家として活躍できた人です。恋文は書いてないけど、トラットナー夫人はお弟子さんの中でも絶大の信頼を寄せていた人だと思いますね。
久元 :彼女に捧げたハ短調のソナタ(K457)と幻想曲(K475)はそれを語っていますね。
高橋 :もうひとつ想像ですが、「べ一ズレ書簡」を読むと、モーツァルトとへ一ズレは完全に意気投合して、アロイジアに失恋したパリからの帰りには深い仲になっていたと思いますね。
久元 :私もそう思います、あれだけ書いているのですから・・…・。
高橋 :それにしても、モーツァルトは父親にコンスタンツェを紹介する時『後宮からの逃走』の台詞(恋をしていて幸せでした)を彼女に写させてそれとなく同封したり、いろいろ作戦を練っていますね。
久元 :何でもぱっとやっちゃうように見えて、お母さんが亡くなったのを知らせるのに、3回にわたって手紙を書いて気遣ったり・・・。
高橋 :そういう緻密な配慮と優しさがありますね。
久元 :モーツァルトの手紙の中ではあの手紙がいちばん好きです。

高橋:ザルツブルクは何度か行かれましたか?
久元 :はい、モーツァルト以外は何もない感じもするんですけど、ひょっこり現れそうな雰囲気が残ってるのが好きで。ひとつ不思議に思っているんですが、あんなに景色の美しいところに住んで、あれだけ旅をしているのに、自然について感動しているとか、そこに神を見るというのが(べ一トーヴェンの場合は多いのに)モーツァルトの手紙には、私が読んだ限りでは見つからなかったんですけど・・・
高橋 :実際、ないんですよ。ヴェスヴィオ火山が噴火したっていう話くらいです(笑)。自然讃美っていうのは本当に少なくて、文学の世界でも、近代においては、ジャン=ジャック・ルソーが ― モーツァルトより少し前ですが ― 文学の中で初めて自然の美しさにふれています。それ以前は、自然讃美どころじゃなかったみたいですね。
久元 :べ一トーヴェンは耳が聞こえないというせいもあったかもしれないけど、自然の中で霊感を得たりしていますね。
高橋 :モーツァルトでは、ザルツブルクの自然の美しさは曲調の中に入ってると思います。何よりも彼は、人間界に関心が強かった人じゃないかな。
久元: 私は『クラヴィーア音楽探訪』のなかで、「モーツァルトは行き止まりの音楽」っていうふうに書いたんです。「これ以上先には、もう誰も受け継いだり発展させたりできない、最後の人」で、そのまま天国に行っちゃった、という意味で、自分の中では最大の讃辞だったんですが、「行き止まり」っていう否定的な表現は良くないって、さんざん叱られました。
高橋: ぼくは「死後作曲しないでいい、唯一の作曲家」だって表現したことがあります。
久元: そういう詩的な表現にすればよかった(笑)。
高橋: 他の作曲家のファンは不満でしょうけど(笑)。
久元 :ホノルルにハワイ・オペラというのがあるんですが、ホノルル・シンフォニーで3ヶ月くらい研修したことがあって、その時にオペラのステージづくりの過程をずっと見せてもらったんですが、どこかのほほんとした感じで、すごくオーソドックスな演出でした。この間ラトヴィアに行った時に観た『魔笛』は、パパゲーノが携帯電話でやりとりするとかロックを踊り出すとか、今の若者風でしたけど。ザラストロが最後は宙高く、せり上がりました。
高橋 :最近のコヴェント・ガーデンの『ドン・ジョヴァンニ』では、ツェルリーナのSM吊りがありました。そうなると、音楽が残らない。音楽が残って、なおかつ斬新な演出をやっていくというのはすごく難しいことだと思いますね。ところでモーツァルトのピアノ曲を弾くにはオペラを観ると参考になりますね。
久元 :確かにピアノの曲の中に、これはオペラだなと思う箇所がたくさんありますし、ピアノには言葉がなくて手がかりが少ないので、そこから何を読みとるかという時に、歌が参考になります。
高橋 :調性から読みとれることも多いですね。「ロンドイ短調」なんてイ短調という調性が切り札で、出だしの数小節で決まっちゃう。
久元 :あれも出てくる度に、形をちょっとずつ変えて出て来るんです。同じメロディだけど、少しずつ装飾法が変わっている、そのあたりがモーツァルトらしいですね。たぶん即興でやったんだろうと思います。でも後世のピアノ弾きは、残された楽譜に忠実に、毎回同じように弾がなきゃいけないというのが矛盾でもあり、大変さでもあります。
高橋 :楽譜をいかに読むか、今日の課題ですね。
久元 :おそらく、こうすべきという正解はなくて、毎回違うことを演奏していたんじゃないでしょうか。

高橋:ライヴ感覚ですね。
久元:ええ、戴冠式協奏曲も、第2楽章は左手の部分が書いてなくて、弾く度に違うことをしたのでは。
高橋 :消えた即興曲は、もっともっと2倍も3倍もあるんじゃないか、と思います。
久元 :特にピアノ曲には、消えたもののほうが多いと思います。その録音が残っててほしいなと本当に思いますね。例えばK332のソナタでは、初版譜を見るとたくさん装飾がついているんですが、いくらでも指が回ったはずなのに、華やかで派手なパッセージは、1ヶ所さらっとついてるだけなんです。技を見せびらかすというのは一切しないという、モーツァルトのおしゃれというか美学だったんだろうと思います。
高橋 :節度でしょうか、時には沈黙も必要だという。
久元 :フリードリヒ・グルダのコンチェルトで、晩年のほうが好きなのは、若い頃はジャズ的なものを加えて、これでもかと即興を入れてるんですが、晩年になるとすっきりシンプルになって、モーツァルトに帰ってきたという感じで、こっちのほうがモーツァルトが望んだ演奏じゃないかと思います。
高橋 :ジャズっぽいというと、キース・ジャレットなんかはどうですか。
久元 :チック・コリアとのコンビは、最初ジャズの人だと荒っぽくなるかと思ったんですが、聴きに行ったら、すごく良くてびっくりしました。合わせものの原点があると思いました。
高橋 :面白かったですね、ああいうエキサイティングな試みはもっとなされていいと思います。
久元 :モーツァルトの演奏でもジャズの精神というか、その場のライヴの心、合わせる息づかいの面白さを、クラシックの人間は多分に学ぶべきだと思って、目からうろこでした。
高橋 :あの活力が第2楽章の優しさを生みだしているんで、ぼくはあまり「癒しの音楽」とは言いたくない。強い生命力があると、安らぎの第2楽章がより心にしみ入る。生命力の中の優しさですよ。
久元:聴きに来るお客様は、ただ癒されるというより、なにかエネルギーが欲しくて来るということが多いと思うので。
高橋 :モーツァルト以外でお好きな作曲家は?
久元:バッハです。人前では弾かないんですが、自分のために、毎朝お祈りのつもりで弾きます。シューベルトも自分のために弾きます。ラフマニノフも、曲によってはすごく燃える感じがします。それから、ハンガリーに短期で何度か行ってることもあって、リストも好きです。今年5月のリサイタルは、リストを中心にプログラムを組んでいるんです。
高橋 :フランスものはどうですか。
久元 :ドビュッシーが好きです。ラヴェルのヴァイオリン・ソナタとかもいいし……。まだ気が多いので、あと30年くらいしたら狭めていこうと思ってます(笑)。
編集・発行 モーツァルト劇場 〒166−0001 東京都杉並区阿佐谷北2−10−7
久元祐子さんのピアノリサイタルとレクチャーコンサート 永田通信 02 - 01号 
― 3月21日、22日  あづみ野コンサートホールにて
 ピアニストの久元祐子さんの活動に興味をもったきっかけは、朝日新聞の本の紹介で目に留まった「モーツァルトはどう弾いたか」(MARUZEN BOOKS)でした。現在のピアノがモーツァルトの時代に生まれたことは知識としては知っていましたが、この著書では楽器と演奏法との関わりが的確に説明されています。
 一方、昨年の春、松本市郊外の穂高町にオープンしたあづみ野コンサートホールについては本誌2000年01号で紹介しました。かねがね、このような小さなホールで、久元さんの演奏とお語が聞ければと思っていました。それが、ホールオーナーの長谷川さんと日本べーゼンドルファーの福田さんのご支援とご協力によって企画がまとまり、3月21日の夜にコンサート、翌22日の朝にレクチャーコンサートを実施する事ができました。
 演奏会の当日は、珍しく松本盆地一帯に突風が吹き荒れ、空一体が黄塵に見舞われました。久元さんの列車も小淵択で立ち往生という連絡がはいり、急逮、車で迎えにゆき、開演の1時間前にホールに到着、というあわただしい状況でした。しかし、さすがにプロの演奏家です。1時間足らずのリハーサルで予定通り演奏開始、モーツァルト、ぺ一トーヴェン、リストといつたプログラムを無事終了しました。ご本人はプログラムに「テンペスト」があったからだ、と余裕のある説明をされていましたが、関係者一同、一時は演奏会の中止までも覚悟していました。遠くは水戸、つくば、鎌倉、東京から、近くは松本市と周辺の町から、総勢70名の参加があり、ほぼ満席近い盛況でした。当日、中央線の立ち往生で、長野回りでこられた方もおられます。
 翌、22日は演奏をまじえてのレクチャー、演奏家によるテンポの違い、装飾音の演奏法などについて演奏をまじえてのお話があり、ピアノ学習者には有益なひと時だったと思います。聴講者約50名、ピアノ譜を広げている若い方が目立ちました。
 地方の町の、それも個人オーナーのコンサートホール、当然、その運営には難かしい点が多々あります。都心の500席のホールでも現在、集客状況はかんばしくありません。2〜3年前でしたら、5000円が相場だったチケット代も最近では4000円が普通になりました。地方では、3000円というチケット代も抵抗があると聞いています。2日にわたる今回の久元さんの演奏会が予想以上に盛況だったことは、演奏者久元さんの来場者に対しての暖かく、しかも要を得た語りかけがあったからだと考えています。私もこの演奏会をとおして多くの方々と環が広がったことを嬉しく思っています。
 今回は2度目ですが、同行の仲間には、穂高町の「なごみ野」という宿を取りました。日本旅館というのはビジネスマンにはなじみにくい宿泊設備ですが、この宿はコンサートが終わってからホールまでの送迎、食事、打ち上げの会などにも心地よい対応と木目細かいサービスを提供してくれます。それに、料理の質、肌ざわりのよい温泉、ゆったりした和室など、宿泊者全員、コンサートの後の宿として気にいってもらいました。
 あづみ野コンサートホールと共に愛用して頂きたい施設としてご紹介します。

 なごみ野 〒399−8301 南安曇軍郡穂高町有明3618−44  
            電話 0263−81−5566  Fax 83−8355
 永田通信 02−01号 通巻25号  発行 2002年3月31日
〒164−0003 東京都中野区東中野1−31−11 電話 03−3369−0882

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