|
2000年
久元 祐子「テレーゼ」「ワルトシュタイン」 産経新聞 12月22日
ベートーヴェン・個人的に好きな曲を中心に ―録音の現場から ―
モーツァルトの研究家として知られ、ユニークなレクチャー・コンサートなどで多くのファンを持つピアニストの久元祐子が前回のショパン・アルバムに続いて、今度はベートーベンのアルバムをリリースした。一夜のリサイタルのような選曲と話すが、そこはどうして”久元流”。一枚のアルバムの中には「憧れ」から「祈り」、そして「再生」へと続くテーマがちゃんと設定されている。
●・・・前回のアルバムはショパンでしたが、今回はベートーベンとなりました。
個人的に好きな曲を中心にしていますが、アルバム1枚にちょうどリサイタルの一夜のプログラムを入れてみたという感じです。
●・・・となると、ソナタの第21番「ワルトシュタイン」がメーンということになりますか。
そうですね。アルバムの組立としては、最初は”憧れ”で始めたかった。それで1曲目に「テレーゼ」を選びました。ちょうど恋文の出だしみたいな感じなんです。次が”祈り”で、「ゲレルトの詩による6つの歌曲」という曲を持ってきたんです。あまり演奏される機会がないんですが、とてもいい曲で、ベートーヴェンが最初に神を意識したころの作品です。バス歌手の戸山俊樹さんに来ていただき、私が伴奏しています。
●・・・最後のテーマは何になりますか。
最後の「ワルトシュタイン」は”再生”という意味でとらえました。「ワルトシュタイン」との関連では、今回は「アンダンテ・ファヴォリ」も入れています。この曲は元々が「ワルトシュタイン」の第2楽章のために作曲されたものなんです。ただ、全体を通してみると長すぎるということで第2楽章は今の形に落ち着きました。今回は”元の第2楽章”も聴いてもらいたくて。
●・・・最後が「エリーゼのために」。これはアンコール曲という感じですね。
ただ、これにもちょっとこだわりがあります。エリーゼというのは、最初は「テレーゼ」と書かれたものから「TH」の文字が抜けて「エリーゼ」と呼ばれるようになったのではないかといわれていますよね。それでそのあたりの関連性を持たせてみました。
訪 問 北海道新聞 7月30日
名ピアニストでもあった作曲家といえばリストやラフマニノフが有名だが、モーツァルトはどうだったのか。ピアニストである久元さんはそんな疑問から本書をまとめた。当時の作曲は同時に演奏家でもあったが、モーツァルトの演奏を聴く方法はない。そこで手紙や、自筆楽譜と出版された楽譜の違いだから、演奏家としてのモーツァルト像を探った。
モーツァルトは手紙の中で、神聖ローマ皇帝の前で競演した相手奏者の演奏を「なんの価値もない」とこき下ろし、自作を弾いた著名な奏者を「書かれたものと違って弾いた。あの速さでは仕方がない。」と批判した。一方で、自分の演奏を「制各区に拍子を守っていることにみんな感心している」と自慢げに書いたという。
久元さんは「モーツァルトは奏者にスコアに忠実であることを求め、自分もいくらでも指が回ったが、派手な演奏はしなかった」と推測する。本書の中でも特に、トルコ行進曲の作曲時期や演奏スタイルを探る部分は、推理小説のようななぞ解きの魅力に満ちている。取り上げた曲の一部を久元さんが弾き、インターネットで聴くことができる試みも楽しい。
久元さんがモーツァルトを聴いて魅了されたのは子どものころ。その後、ピアノを始めてからは「モーツァルトの曲は、手の中に入ったと思ったら、するりと抜けていく」という奥の深さを感じ続けている。「演奏家としてすべてをさらけ出すことになるので、こわい作曲家」とも。それでもひかれるのは「初恋の人のようなもの。ほかの作曲からモーツァルトに立ち返ると、よけいに見えてくるところがあります。」
ところで、モーツァルト時代のピアノは、今のピアノよりずっと軽いタッチの楽器だった。モーツァルトが現代に生きていたらどんな演奏をしただろうか。「とても器用な人だったようなので、どんな楽器も弾きこなしたでしょう。電子楽器を使って意外なオペラを書いたかもしれませんね。」と想像している。
ピアニスト・久元祐子、語り交え聴衆魅了 秋田さきがけ新聞 7月24日
19日の秋田市の弥高会館で開かれた「モォツァルト広場」(加藤明代表)のコンサート。集まったのは百人余。音楽好きな人、中でもモーツァルトが好きな人たちだ。
聴衆の前に久元が登場した。モーツァルトの人生や音楽について語りながら、ゆっくりと鍵盤に向かう。いたずらっ子をなだめるように、時には一緒に戯れるように
― 。ピアノを弾く姿は、まるでだれかと話しているかに見えた。
「弾いている時は、いつも『モーツァルトがここにいる』という気持ちになります」と久元。楽譜の向こうにその姿を見ながら「彼だったら、どうするだろう」と思いをはせる。
東京芸術大学音楽学部を卒業後に演奏家としてスタートを切り、各地でリサイタルをこなしている。その久元には、ピアニストとしてずっと興味を抱いてきたテーマがある。「モーツァルトは、どんな風にピアノを弾いたのか」ということだ。
数々の手紙や「ことば」を書き残しながら、ピアノ曲については多くを語っていないモーツァルト。その場でつくり、その場で奏でる「即興の天才」であったこと、さらに「ピアノが彼の『日常』に溶けこみ過ぎていたことも、資料が少ない理由ではないか」と久元は推し量る。
残された手紙をすべて読み返しながら、彼女は”ピアノ弾き・モーツァルト”に迫ってみた。この六月には調べた結果を一冊の本にまとめた。その名も「モーツァルトはどう弾いたか」(丸善ブックス)
最初に触れたクラシック音楽が、モーツァルトのロンドイ短調。「言ってみれば、モーツァルトは『初恋の人』なんです」。ショパン、リスト、ラフマニノフと、その後たくさんの”恋”をした。しかし、ほかの人を知れば知るほど、モーツァルトの魅力も再発見できた。
そのモーツァルトを、久元は「怖い」とも言う。スピード感に振り落とされないようにするのが精一杯、少しでも油断すると、すぐにほころんでしまう ―
。弾くたびにまだまだだな」と痛感するという。
モーツァルトはどう弾いたのか。「見えてきた部分もあるけれど、ますます分からなくなった」と笑う。つかんでもつかんでもするりと抜けていく人。「でも、ずっと追いかけていきたいです」
CD批評 レコード芸術 12月号
東京芸術大学と同大学院で学んだ久元祐子のCDデビュー盤は、もちろん記念年を意識してのことだろうが「ショパン・リサイタル」。3曲の練習曲、舟歌、ワルツ3曲の後にピアノ・ソナタ第2番《葬送》を置く。録音は1999年5月。
優れたショパンだと思う。今月の発見の一つである。ブックレットで得た知識だが、久元はこれまでも執筆活動で多くの賞を受けているようで、たんなるピアノ弾きではない幅広い活動を行っているようだが、そのことは一応別にして、この演奏は”音楽表現”として高い完成度を持っている。
このことはもちろんテクニツクについての評価を含むが、作品の理解にも言えることだ。ショパンの音楽の様式、そして弾かれているそれぞれの曲のメッセージを見事に”書かれた楽譜”の枠内で消化した演奏である。そこには演秦家としてのいわゆる自己顕示的な姿勢はなく、好感が持てるし、なによりも将来に向かっての大きな期待を抱かせる。もしこんなものがあれば「ショパン記念年新人賞」をさしあげたい。
なぜ「推薦」としないか、と問われればたとえば些細なことだが、第2番ソナタの第2楽章スケルツォの最後の3つの単音、これが”意味”を担っていない、と言えば酷だろうか。そこまで読むのが〃”いまショパンを世に問うことの意味”だと思うし、久元はそれを分かっていると思う。(武田 明倫)
天声人語 朝日新聞 9月8日
▼ピアニストの久元祐子さんが話を交えながら演奏するレクチャー・リサイタルが受けている。先月末、東京で催したコンサートでは、モーツァルトと同世代の作曲家達に光を当て、クリスチャン・バッハのソナタなどを弾いた。
▼モーツァルトが学んだ先輩たちの作品と対比させつつ、比類のない魅力に迫るのがねらいだという。忘れ去られた作品が日の目を見るのも、モーツァルトの効果かも知れない。
▼「モーツァルト効果」は音楽界にとどまらない。モーツァルトを聴かせると、赤ちゃんの脳の発達が促されるとか、酒がまろやかになるとか、多様に拡散する。過熱気味の人気に、神経科学を支援する米国マクダネル財団のJ・ブルア総裁が水を差した。「3歳までの脳のことは未解明。モーツァルト効果は研究の誇張である」
▼「頭が良くなる」効果の元は6年前、米カリフォルニア大グループが米科学誌「ネイチャー」に発表した実験だ。大学生を 1)モーツァルトの「2台のピアノのためのソナタK448」を聴く
2)リラックス用の指示を聴く 3)沈黙を保つ、の三群に分けて、十分後に知能検査をしたら、モーツァルト群の成績が一番よかった。
▼これが報道されるや、K448が入ったCDの売り上げが急増した。その熱気が育児の世界にまで広がったらしい。ネイチャー誌は最近号に「モーツァルト効果への前奏曲あるいはレクイエム?」と題する論文を載せ、効果は、特定の問題処理能力に限られることを伝えている。
▼もちろん、これでモーツァルトの値打ちが下がるわけでもない。「頭が良くならないことは、毎日弾いている私が証明していますが、心に響く効果は格別のものがあります」と久元さんは語る。
▼たとえ赤ちゃんの脳に効果はなくても、聴いている親たちの心をいやし、ひいては子どもの健やかな発育につながるのではないか。
「モーツァルトのクラヴィーア音楽探訪」出版記念リサイタル 音楽の友 9月号
(1999年3月5日 音楽の友ホール)
久元祐子は東京芸大と同大学院で学んだ人。執筆活動も行なっており、昨年の9月には『モーツァルトのクラヴィーア音楽探訪』と題する著書を音楽之友社から出版した。今回は、その出版記念として開かれたレクチャー・リサイタルであり、お話を交えながらプログラムが進められた。
演奏された曲は、モーツァルトのK24の変奏曲、エッカルトの6つの変奏曲、C・バッハの作品5の3のソナタ、モーツァルトのK280のソナタ。
ひとつひとつの音を大切にし、和音のキャラクターを明確に奏出していく、という細部まで意識を通わせたていねいな演奏が心地よかったが、曲間に語るお話の方も無駄が少なく、明解。
この上演奏の方により一層自由さを宿らせて、本番ならではという味を加えていくことを望みたいが、基本的なものをしっかり踏まえている人なので、やがてその基本の上に臨機応変の色づけを行うようになると思われる。
なお著書の方も読んでみたが、なかなか楽しいものであった。 (長谷川武久)
記事 1998 へ
|