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久元 祐子ピアノ・リサイタル(2008 9.1)
- 音楽の友 2008年11月号
- 久元は、ピアニストのみならず、多くのピアノ演奏法、演奏論、エッセイなどの著述を手がける才女でもある。前半は、ベートーヴェン《アンダンテ・ファヴォリ》、シューベルト「即興曲」op142-3、‐八イドン「ピアノ・ソナタへ長調」Hob.]Y−23、後半が、モーツァルト「ピアノ・.ソナタへ長調」K280、「ピアノ四重奏曲第1番」K478というウィーン古典派を中心としたプログラム。
まず、ベートーヴェンでの内包された精神性への対峙と融合が印象的。冒頭から、久元の紡ぎ出す精彩な語りロとともに彼女の炯眼による読み解きで音楽の見通しのよさが感じられ、端正な趣が馥郁として心に満ちる。特にモーツァルトでは、古典様式による明晰かつ簡潔な様式美を堪能しながらも、彼女の顕然たる知覚による本領が存分に発揮されていた。
そして、「ピアノ四重奏曲」は、大関博明はじめ共演者もそれに応えるがことく好演であり、総じてて、鋭い視点に裏付けされた彼女の音楽に、何をもって正統とするかをあらためて体感する演奏会でもあった。全曲、フォルテピアノによる彼女の演奏も聴いてみたい。(9月1日・東京文化会館<小>) 高山直也
- ショパン 2008年11月号
- 秀麗快演のモーツァルト
久元祐子(東京芸大大学院修了)が独奏およぴアンサンブルしてのコンサート。
独奏の曲目はベートーヴェンの『アンダンテ・ファヴォリ』、シューベルトの即興曲作品142の3、ハイドンのソナタHobXYの23、モーツァルトのソナタK280。
『アンダンテ・ファヴォリ』は優しげな表情のうちに左手を強めて充実のソノリティーを響かせたりと、この曲元来のキャラクター(『ワルトシュタインソナタ』第2楽章)をも浮き彫って奏で、さすがにベテランの味わい。即興曲は第3変奏で軽やかな3連リズムにのってフレーズがのびやかに歌うあたり、いかにもウィーンのシューベルトの風情。ハイドンのソナタは第1楽章で張りのある美音が歯切れのよいスタカートできらめき転がり疾走する。第2楽章も美音が冴えてD・スカルラッティのソナタに似て気品高く凛と誓いた。
後半はモーツァルトで、まずソナタ。時に陰影を深めながら、和らいだ音色、細やかなダイナミクス、なめらかなリズム、フレージングでいかにもモーツァルトに似つかわしい。
最後に大関博明(Vn)、市坪俊彦(Va)、阪田宏彰(Vc)とのアンサンブルでモーツァルトのピアノ四重奏曲第1番。ピアノと弦の音色がブレンドしてト短調のパトスをなめらかに磨きあげるなど、上質なテクスチュアがモーツァルトによくまた適って、秀麗の快演であった。(壱岐邦雄 9月1日 東京文化会館小ホール)
- 音楽の友 2007年10月号
- 国立音大で教鞭をとりながら、活発な演奏活動を展開する久元 祐子。当夜は、モーツァルトを軸にしたプログラミングである。
J・C・バッハ「ピアノ・ソナタ」作品17の5は、華麗な技巧に溢れる作品であるが、久元は決して派手な演出を行わず、旋律線を丁寧にくみ取り、縦横無尽に駆けめぐるアルペッジョの織りなす音色彩の移ろいを、生き生きと浮き彫りにし、典雅な響きを築き上げた。彼女特有の、まわりを優しく包み込むような空気の中から放たれる響きは、柔和で温かみに満ちている。この響きは、モーツァルト「ピアノ・ソナタ」
KV 310 & K311 の音楽つくりに反映された。ただ、使用楽器(ベーゼンドルファー)と彼女の解釈が必ずしも一致しな場面も散見された。
ラトビアの作曲家ヴィートールスの「前奏曲」より2曲。繊細な抒情性を尊重し、神秘的な響きがこの上なく美しい。しかし、細部にこだわりすぎて、音楽の流れがいささか滞りがちであった点も否めない。ショパンの「幻想曲」では壮大なスケール感が発揮され、ドラマティック派感情表現も見事であった。
(7月31日、東京文化会館小ホール) 道下京子
- ムジカノーヴァ 2007年10月号
- 久元祐子は、東京芸術大学と同大学院に学び、ソロ、オーケストラとの共演、室内楽など、幅広い領域で演奏活動を続けているピアニストである。その彼女の今回のリサイタルでは、ヨハン・クリスティアン・パッハの<ピアノ・ソナタ>作品17−5、、モ一ツァルトの<ピアノ・ソナタ>
KV 310、ヤーゼプス・ヴィートールスの<前奏曲>作品17−2、<ラトビア民族の歌>作品29−7、作品32−5、モ一ツァルトの<ピアノ・ソナタ>K311、ショパンの<幻想曲>が演奏された。久元は、粒の揃ったムラのないタッチと滑らかで安定したテクニックをもち、自然で豊かな感情の起伏を伴った、
非常に音楽的な表現を聴かせるピア二ストである。そして、当夜の彼女は、そうした自己の持ち味をのびのびと前面に押し出し、感興に溢れる演奏を展開していた。パッハでは、美しく練りあげられた端整な表現のなかに、清楚でふくよかな情感が息づいており、しなやかで洗練された語りロで綴られたモーツァルトの2曲では、そのキメ細な陰籍に富んだ感情表現もが筆者を捉えた。彼女のモーツァルト弾きとしての才能は、私見ではかなり非凡なものである。彼女は、ラトビアと深い縁をもつピアニストであるが、そのラトビアのヴィートールス作品では、音楽が体から涌き出るようないきいきとした表現が繰り広げられていた。
(7月31日 東京文化会館小ホール 柴田龍一)
- ムジカノーヴァ 2006年12月号
- 東京芸術大学大学院を修了し、現在、国立音楽大学の講師を務めている久元祐子は、演奏活動のほか、録音、著述、講演など、幅広く活躍している。今回は、前半のモーツァルトをべーゼンドルファー、後半のムソルグスキーをスタインウェイと、2台のピアノを使い分けたリサイタルだつた。
モーツァルト作品からは、 《ロンド イ短調》K511、 《きらきら星変奏曲》K265、 《ソナタハ長調》K309が演奏され、モーツアルト研究にいそしんできた久元らしい確固とした様式感が、テンポや強弱などに反映されていた。また、タッチのコントロールや、手首の使い方など、奏法上の工夫も注目される。さらに、曲や場面によって優雅な美しさが強調されたり、開放的な明るさが前面に出たり、あるいは、威厳が漂ったりといった、多彩な表現力が印象に残る。
後半のムソルグスキー《展覧会の絵》は、スタインウェイの高らかな音色を生かしたダイナミックな演奏であり、久元のパワフルなテクニックと打鍵力が存分に発揮された。全体としては落ち着いた構えだが、そのなかに多彩な表情が盛りこまれており、聴き終えたときには充実感とともに、心地よい余韻が残つた。
(9月30日、東京文化会館小ホール) 原明美
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