Johann Gottfried Eckard

アウグスブルクの出身

西方への大旅行に出発したモーツァルト一家がパリに到着したのは、1763年11月のことでした。
当時パリは、ロンドンと並んでヨーロッパで最大の音楽都市でした。ヴェルサイユ宮殿のルイ15世の宮廷は滅びの前の輝きを見せ、宮廷やサロンにはたくさんの音楽家が出入りしていたようです。レオポルドの手紙によれば、ドイツ人音楽家も目立っていたということで、ヨハン・ショーベルト、ヨハン・ゴットフリート・エッカルト、レオンツィ・ホーナウアーなどの名前が挙げられています。
その一人、ヨハン・ゴットフリート・エッカルト (Johann Gottfried Eckard  1735 - 1809)は、アウブスブルクの出身で、同郷の楽器制作者のヨハン・アンドレアス・シュタインに気に入られ、シュタインがパリに出てきたとき一緒にやってきて腰を落ち着けました。ちょうどモーツァルトがパリに来る直前の1763年と1764年に、それぞれ作品1、作品2のクラヴィーア・ソナタを出版しています。
ショーベルトの作品の中心がヴァイオリンの伴奏つきのソナタであったのに対し、エッカルトのソナタにはヴァイオリンの伴奏パートは書き込まれていません。シュタインは、既にこの時代にはピアノフォルテの制作を始めており、エッカルトはシュタインが制作した初期のピアノフォルテを念頭に置いて、これらのソナタを作曲したと考えられます。
作品1のソナタの序文には、この曲集はクラヴサン、クラヴィコード、ピアノフォルテのいずれで弾いてもよい、と記されており、また作品2のタイトルは、よりはっきりと《チェンバロまたはピアノフォルテのためのソナタ》となっているます。作品2の2曲のソナタには、rinforzando, mezza, voce, tenuto, legatoなどピアノフォルテを想定した用語が沢山含まれています。いずれにしても、ピアノフォルテで弾かれることを想定して作曲されたクラヴィーア・ソナタとしては最も早いものです。

エッカルトの作品
エッカルトのソナタを弾いていると、彼はピアノフォルテの特性をよく踏まえてこれらのソナタを作曲したように思います。作品1の5第1楽章では、アルベルティ・バスの伴奏に乗って伸びやかなテーマが右手で弾かれます。
特に、私にはクラヴィーア・ソナタ 作品1の2が最も優れているように思えます。3つの楽章ともト短調で書かれており、調の変化には乏しいのですが、内容的には充実しています。
第1楽章のテーマは分かり易く、同時に緊張感を孕んだ動機で出来ていて、気分的な高揚も見られます。展開部は30小節以上にも及び、かなり自由で変幻自在な動きを見せ、ファンタジックな雰囲気を漂わせます。第2楽章は豊かな情感を湛えていますが、同時にフォルテとピアノの鋭い、そして頻繁な対比が効果を上げています。全体を通じてこのソナタには、ピアノフォルテを想定した豊かな響きとダイナミックな表情の変化、鍵盤上を駆けめぐる自由自在な動きに溢れています。また、この時代のギャラントな音楽の中では、比較的トリルや装飾音が少なく、ややすっきりとした、輪郭がはっきりした印象も与えます。

モーツァルトは、後の1774にミュンヘンからザルツブルクのナンネルに宛てた手紙の中で、エッカルトの変奏曲を持ってきてくれるよう頼んでいます。
この変奏曲が、 《エグゾデのメヌエットによるクラヴサンのための変奏曲》で、まさにモーツァルトがパリを訪れた1764に出版されています。
この変奏曲は、リズムや音型、強弱の変化は極めて多彩で、技巧的にも、広い範囲のアルペジオや両手の交差、跳躍など、華やかなテクニックの見せ場も用意されています。全体を通じて豊かな表情と響きに満ち、恐らくこの曲は、前古典派から古典派へという文脈の中で捉えた場合に、1760年代の半ばにおけるハイレベルのクラヴィーア作品ではないかと私には思えます。

次 へ