エドヴィン・フィッシャー  

Edwin Fisher  1886 - 1960

演奏に関する「箴言」

はじめに
クヴァンツ
テュルク
C.バーニー
L・モーツァルト
スタンダール
R.シューマン
C.ドビュッシー
フィッシャー
ゲオン
ランドフスカ 
ザウアー
スコダ
ブレンデル
武満 徹
C.ローゼン
浅田 彰
Edwin Fisher

スイスのバーゼル生まれ。バーゼル音楽院でハンス・フーパーに師事した後、ドイツに行き、ベルリンのシュテルン音楽院でマルティン・クラウゼに師事した。演奏活動を開始すると、すぐに高い評価を得て、指揮者としても活躍。指揮振りでベートーヴェン、モーツァルトのコンチェルトを演奏した。1942年にスイスに帰り、ルツェルン音楽院で教鞭を執りながら、ヨーロッパ各地で演奏活動を行い、1955年演奏活動から引退した。パウル・バドゥーラ・スコダ、アルフレッド・ブレンデルなどを育て、名教育者としても知られ、生涯を通じ、尊敬を集めた。
われわれが自然な音楽的成長の初期の段階にあるうちは、われわれは彼のメロディーの民謡的特質や、その和音的で諧音的な作品構造のわかりやすさのおかげにより、充分モーツァルトにしたしみを感じておれるのであるが、その次には、たいていの場合、はげしい奮闘的なものに心を惹かれ、熱情的なものを愛する一時期がやってくる。
そうなると、どれほど強烈な表現もなお充分に強いとは思えず、どれほど華麗で、練達で、魅了的であっても、なおものたりない。このようなことでは、われわれはとうてい大作曲家モーツァルトに近づくことはできないのであるが、さらにその次の時期 ― まったく斬新なもの、気の利いたもの、過激なもの、革命的なもの、あるいは外見上問題的なものを探索する時期 ― においてもこの事情にかわりはない。
だが、いつの日か迷妄の夢はさめる。そして、モーツァルトの音楽においては、内容、形式、表現、ファンタジー、器楽的効果など、いっさいがごく単純な手法によって達成されていることに気づくのである。この日が訪れるとき、君はあらゆる模索、あらゆる欲求から完全に救われるのだ。

エドヴィン・フィッシャー

エドウィン・フィッシャーが、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなど、正統的ドイツ音楽の分野で素晴らしい演奏を残していることはよく知られています。
フィッシャーにとって、およそ、とくに19世紀後半以降の音楽は価値のないものだったのでしょうか。
モーツァルトを弾けば弾くほど、「内容、形式、表現、ファンタジー、器楽的効果など」が、「ごく単純な手法で達成されていること」に、確かに気づかされます。
しかし、モーツァルトとは対極にある音楽に傾倒した時期を、「迷妄の夢」とまで断言できることには、ある種の驚きを感じることも事実です。
まさしく彼は、子供のような無邪気さと、すでに老境にある者の叡知とが合一した一つの「奇蹟」である。あたかも一羽の小鳥のごとく、彼は迅速な感応の力をそなえており、常人をはるかに超えた感覚的印象と感情のうごきとを同時に有していたのである。

エドヴィン・フィッシャー

モーツァルトの音楽が持つこのような側面は、いろいろな表現で指摘されています。
同時に、フィッシャー自身も、自らの演奏でそのようなモーツァルト像に近づこうとしていたのかもしれません。
フィッシャーに師事したピアニスト、アルフレッド・ブレンデルは、次のように観察しています。
「彼は時おりモーツァルトのアレグロを、どんなに息も止まるほど速く弾いたことだろう!フィッシャーのすばらしさは、感情の変化をとらえる才能、彼の音の美しさとその極度の洗練性、壮大な構想に対する彼のヴィジョンと大規模な把握力などに表れた。子供と大家とが、彼の最高の出来ばえのときには完全に一つに結びついていて、それらを引き離すものはなかったのである。」
(アルフレッド・ブレンデル『エドウィン・フィッシャー追考』「楽想のひととき」216頁、岡崎昭子訳 音楽之友社 1978年)

(引用文献)エドヴィン・フィッシャー「音楽を愛する友へ」佐野利勝訳 (新潮文庫)

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